子供が泣くことについて・・・

もめる原因の一つに「相手の立場に立って物事を考えない」これが理由でもめる事が多々あると思います。けれども、相手の立場を理解するには「自分も同じ立ち位置に立たないと分からない」だからこそお互い相手の立ち位置を確認してみないと進むものも進まないなあと思うYoshiです。こんばんは(-_-;)

さて、今日は1日某所でちょっとしたレセプションチックな催し物に参加してました。

ドレスコードがある催し物だったので、めったにかけない黒渕メガネをかけ、めったにしない会社のマークが入った社章をつけ、法事しか着ない白い無地のYシャツを着て、普段通勤は歩くから黒いスニーカーを履き会社で革靴に履き替える人が1日中革靴&立ちっぱなしで疲れたなあという話ですが。こちらは今回は特に書ける内容がないので一言だけ言うと「疲れた・・・」ってだけなんです何もネタがないので、ちょっと気になる記事

長いのでURLだけ張っておきます。

元の記事はこれなんですけどね。
http://www.j-cast.com/2012/11/20154730.html

で、こんな反応が・・・

「子供は泣くさ」 物議醸した“搭乗マナー”問題、つんく乙武さんの発言に共感の声多数
http://www.rbbtoday.com/article/2012/11/20/98074.html

これね、申し訳ないけど同意見。でもね、これは正直子供がいないと達観できないのも事実かなあと思うんです。自分も独身時代には電車とかで泣いてる子供がいたとき「うーん・・・ちょっとうるさい」と思ったけれど、子供ができて子供は泣くものというのが理解できてみると車内で泣いていたとしても「しょうがないよね・・・」って思える気持ちになって初めて「ああ、やっぱ立ち位置変わると考え方とか受け止め方って変わるよね・・・」と思うわけです。

でも、どうなんでしょうね。もちろんクラシックコンサートとかで泣かれるのは別問題だと思うけど、「しょうがないじゃん」ってなぜ思えないんでしょうかねえ?しょうがないんだよ。子供は、それでも最近のママさんは車内で泣かないように細心の注意を払っているし、ぐずってしまうと途中で降りたり涙ぐましい努力をしている光景は何度も見てる・・・我が家の場合でもやっぱり相当気を使ったと思う。電車は出来るだけ利用しないで車で移動していたし、はるくんとかあいちゃんのお昼寝のタイミング、おむつのタイミング、好きなおもちゃを持たせたり、それでもしょうがないときは回りに「ごめんなさい」といいながら移動したのは覚えてる。病院の待合室でもそうだったし・・・

先日、こんな光景を見ました。

帰りの電車の中。
電車内は混んでいてムシムシしていてすごい暑かった。
ぎゅうぎゅうずめの車内。

赤ちゃんを抱っこ紐で固定しているお母さんがいた。
子供は電車が走り出し暑くなってきたんだろう、ちょっとぐずりだした。

それを見かねた座っていたおじさん。
本をぱたりと閉じて
「ここ座りますか?」 声をかけた。
「ありがとうございます。でも、この子座ってしまうとぐずってしまうので大丈夫です。次の駅で降りるので大丈夫です。本当にありがとうございました。」

そう言って会釈をしたお母さん。赤ちゃんに
「やさしいおじさんがいたよ。うれしいね・・・」

そうつぶやいていた。

その言葉を聞いてちょっとほっこりした。

その言葉以降、お母さんと赤ちゃんの周りには微妙に隙間が出来て、
どんなにゆれても、どんな圧迫されてもその空間は保たれていた。
そのおかげで、お母さんの周りに人がきっと窮屈になったに違いない。
でも、誰も文句言わなかった。

日本人もまだまだ捨てたものじゃないなあと思った。

こんな光景を目の当たりにしてみると、日本人ってやっぱりどこか奥ゆかしい配慮と気遣いができる人種だったよね?そんな子供の泣き声くらいで目くじら立てて乗せるなとか、なんか、小さいなあと思うのは私だけでしょうかねえ?

今日はこんな感じ
ではでは。