別れるということ・・・

今日は、ほんの少しだけ、しんみりとした気分。出会いがあるから別れがあると、ありきたりな言葉はあるけど、別れる時の悲しさとか、切なさは、その人とのつながりの深さに比例するんじゃなかろうか?ふと、考えてみたYoshiです。こんばんは( 一一)

人事異動の季節ですからね・・・それは、それでしょうがない面もあるって事で、今日は後輩氏の公式な送別会でした。
特に実は全く悲しくないんだけど・・・

うちの会社の世間は狭いし、まーたどこかで一緒に仕事をするなんて事はざらにある。なにせ、元職場の先輩、隣に座っていた方が7月から、同じチームですしね・・・後輩氏もきっと、またどこかで一緒に仕事する機会もあるだろう。だから、正直全く悲しくはない。

でも、今日ね僕プレゼンターだったんですよね。単にプレゼントを渡す係りってだけで、軽くスピーチはしたけどさ。結局彼とは約1年のお付き合いでしたが、会社人生始まって、たぶん初めてと思うくらい色々教えた後輩だったなあ・・・教えたと言っても、そんな僕の時代はシェフよろしく仕事が見て覚えろ、聞いて考えろ、知って理解しろと呼ばれていた世代でもあったので、特に手取り足取り教えた事は全くなかったけど、心の中で彼に対しては

・自分で考えてその場を乗り越える

経験を積ませる事が彼にとってプラスになるんだろうな・・・と思っていたから、結果的に本人としては当時辛かったと今日の送別会でも言ってたけど

Yoshi「今日さ、時間ある?」
後輩「あります。大丈夫です」
Yoshi「そっか。じゃあ、〇〇部に行って打ち合わせ参加してきて」
後輩「はい。誰と一緒ですか?」
Yoshi「一人で行って来て」
後輩「え?一人ですか・・・」
Yoshi「うん。一人で行って先方の苦情、クレーム等々、サンドバックになってくる簡単なお仕事です」

とか言って、入社して数年しかたってない後輩を一人でうちの部署の代表として参加させ、先方の部署のボスから色々言われるのをひたすら耐えるという修行をさせたり、今考えると酷い先輩だな俺・・・と思ったけど、やっぱり何でもそうだけど、【逆境に追い込まれた時に人は進化する】と思っているから、あの重圧の中で、そうとうかかっているプレッシャーを経験し、その中で考えたり感じた事って絶対忘れないと僕自身の経験があるんですよね。

若かりし頃。某怖い人達がたくさんいる場所で仕事をしなきゃいけなかったり、某外国人さんの家まで行く羽目になり、その外国人が部屋に2人だったのに、「ちょっとカレーを食ってくる」と言われ作業は続けてたけど1時間後に外国人さんが戻ってきて部屋に18人の外国人さんに囲まれた時は、俺終わったな・・・と思ったし、某宗教の施設で仕事をしなきゃいけなかった時に、入信しなきゃお前は呪われる・・・と言われたり、午後イチに来いと言われた会社さん、打ち合わせが終わったら20時だったとか・・・色んなプレッシャーや経験を受けた時、その時は本当に辛かったけど今は、その経験って糧になっているんだよね。なので、そういうシーンを多く与えられたってのが僕にとって教えは全くしなかったけど、教わる機会は出来るだけ多く与えたいという事は出来たのかな?なんて思ってますけど、基本的に人に何かを教えると言うのは超苦手なので、本人にとってプラスかどうか分からないけど、この先彼は、地方で頑張る事になりますが、腐らず凹まず、焦らず、目の前の事実と向き合い常に真摯にがんばってほしいものです、結果なんてそれの積み重ねでしかないですからね・・・

送別会は一次会で帰ってきちゃったけど、あんまり飲む気分ではないんだ・・・

もう一つの別れ。

昨日連絡貰ったんですけどね。母方の祖母に続き、父方の祖父も昨日お亡くなりになりました。2か月弱静かに息を引き取ったそうです。連絡はもらったけど、仕事の関係でお通夜は出れない。告別式だけの参加になるけど、なんだろうね?正直あんまり関係は深くなかっただけに同じ祖母が亡くなったと言う話を聞いた時の悲しみはなく、淡々と事実を受け入れたってだけかな。なんでだろ??

やっぱり僕自身の幼年期の体験とか、母親の嫁姑の話とか、無駄に幼年期から言われているメンドクサイしきたり系の話に嫌気がさして自分自身が特に子供が出来てからさっぱり顔を出してないと言う所もあるのかな・・・

悲しいという気持ちは、その人とのつながりの深さに比例するもんなんだなって思った。
冷たいと言われるかもしれないけど、なんかよくわからないや・・・

今日はこんな感じ
ではでは。