さよなら、おばあちゃん・・・

おことわり本日の日記は見る人によっては不快な表現がふくまれているやもしれません。お気に召さない方は本日の日記を避ける事をお勧めします。










今日、僕の母方の祖母が天に召されました。





享年83歳でした。






仕事中、母親からの着信で覚悟はしていたけど、大きく息を吸ってから電話に出ました。
母は号泣していました・・・

先日日記にも少し触れましたが、父方の祖父も同じく生死をさまよってます。残念ながら、もう長くは持たないでしょう。と言われている最中、実はもっと前から長期で入院していた母方の祖母が先に召されてしまいました。

「今から行った方がいいのかい?」

「今から来ても、きっとあなたが到着する頃には病院を出てしまうので急がなくていいから、線香の一つくらい手向けてあげてちょうだい」

そう言われました・・・
不思議と、涙は出ませんでした。ただ、ただ、なんか、大きなため息と、やっぱり人はいつか召されてしまう運命なんだなあと現実を受け入れられない自分がまだ少しいます。


ほんのすこし、おもいでばなし。


Yoshiの母親は四人姉妹の長女と言う事もあり母方は比較的近所に住んでいるから親戚づきあいも深く自分も母親の実家と言う事もあって小さい頃か初孫だったので、それはそれは、おばあちゃんにも親戚にもよくしてもらっていた子でした。おばあちゃんの旦那さんでもあるおじいさん。うちの母親が小学生の時に亡くなったそうです。それこそ第二次世界大戦前に生まれた昭和一ケタ世代だったわりには割とハイカラなパパだったらしく当時はコーヒーを飲む事すら珍しい時代にコーヒーをこよなく愛した男性だったそうです。

そんなおじいさんが亡くなってから姉妹4人を育ててきたおばあちゃん当時の記憶は僕には当然全くないけれども、小さい時から、それはそれは、よく面倒をみてくれたとってもいいおばあちゃんで、意外と物事を多角的に見ると言うか、頑固なうちの母親を諭すように色々言ってくれたり、何かと僕の事を心配してくれたり・・・とってもいいおばあちゃんでした。

もう足腰も悪かったり、心臓も悪かったり、10年以上前から何度も入退院を繰り返していたんですけどね・・・そんな体も良くないのに自分が結婚する時に結婚式に来る?って言ったら、杖ついてやってきてくれてさ・・・ほんと、普段歩くのも辛いと言っている人が六本木くんだりまで来てくれたので悪いなあと思って前日泊まってたホテル代まで出したんだけど、

「そんなことまでしてくれなくていいのに・・・悪いわね。でも、とっても楽しくて素敵な結婚式だったわ」

と言ってくれたことを今日電車の中でふと思い出しちゃったよ・・・

それから、はるくんが生まれ、あいちゃんが生まれ・・・生まれる度に

「Yoshiにそっくりでかわいい子だね」

ってすっごいニコニコしてくれてさ、年金生活しているのにわざわざお祝いまでもらっちゃってさ・・・本当に申し訳ない気持ちいっぱいだったけど、おばあちゃんにひ孫を見せる事が出来たって事は一応おばあちゃん孝行出来たのかな??

考えてみれば、最近忙しくて、心の片隅にはちょっとだけおばあちゃんのお見舞い行けてないなあ・・・って思っていたけどお見舞いに顔出しておけばよかったな・・・なんでもっと早く行かなかったんだろう・・・少し後悔している。

先日実家に行った時、おばあちゃんの様子を母親から聞いていたけど、自分でも死期は悟っていたみたいです。まだ自分の字がかけるうちに遺言じゃないけど最後の言葉が書きしたためてあったものも見つかったそうです。

そんなおばあちゃん。
実は、某病院に長期入院していたわけですが、わけあって多くの人に支えられていたみたいです。

幸いな事に、今日母親と父親は最後の瞬間に間に合ったみたいです。病院からおばあちゃんを乗せた車が出発する際に病棟の看護婦さんだけではなく、事務方の偉い方、大勢のお医者様、看護士さん達に見送られたそうです。見送られる母親が、こんなに大勢に見送られるのはテレビドラマでよく見る光景だけど、それ以上に多くいて見送られる方が恐縮してしまう・・・そんな最後だったそうです。

親戚のおじさん曰く、この人は幸せな生き方をした人だった・・・
タバコをすいながら、おじさんはつぶやいてました。

「Yoshiを含めてさ、多くの孫に囲まれて今いるんだぜ、この人は本当に幸せ者だよ」

と・・・

会社を出たのは21時ちょっと前、仕事がどうしても手放せなくてギリギリまで対応していた所もあったのでおそくなってしまったけれど、自宅に戻ったおばあちゃんに線香をあげなきゃ・・・と思って自分の家からもそんなに遠くないので行ってきました。

「悪いわね・・・仕事忙しいのに・・・」
「ああ、大丈夫だよ。気にするなよ。当たり前じゃない」

母親と二言三言会話をした後に、おばあちゃんが眠っている居間に通されました。

「お母さん、Yoshiが来てくれたわよ・・・」

母親はおばあちゃんの顔をなでながらつぶやいてました。

僕は、おばあちゃんの前に座り、長いお線香に蝋燭から火を灯し、手で仰いだ瞬間、火がふっと消えて細い煙が天井に向かって漂い始めました。

鐘を鳴らして両手を合わして数分。心の中で

「おばあちゃん、本当にありがとうございました。どうか、どうか安らかにお休みください」

そう祈っていたら、涙が止まらなかった・・・

「おばあちゃんに、お水をあげてちょうだい」

ちょっとした、大きな綿棒みたいなものに水を浸し、少し口を濡らし末期の水をとりました。

亡くなったのは16時近くだと聞きました。すでに22時過ぎだったけど、おばあちゃんの体は、ほんのりと温かいのにね・・・

とっても、とっても、綺麗で素敵なお顔でした。

でも、今日お線香をあげる事が出来て良かった。

結局、小さなおばあちゃんの家に親戚一同揃っていたので、しんみりした感じではなくワイワイガヤガヤ入れ替わり立ち代わり、ご近所の方もやってきたり、おばあちゃんらしい最後の時だなあと少し遠巻きで見守りながらの時間でした。

お通夜は金曜日。
告別式は土曜日になりそうです。

はるくんとあいちゃんは夜はさすがに持たなそうなのでお通夜は自分だけが参加して告別式には参加してもらう事になりそうです。

数か月前、自分と嫁さんが自分の実家で寝ている時にお散歩ついでに、おばあちゃんの家まで自分の母親と父親に連れられて会いに行ったのが二人にとって最後の時になってしまいました。そんなに遠くなかったから、もっと顔出してあげればよかったかな・・・

後悔してしまう事もあるけれども、今までの長い闘病生活も終わりやっとゆっくり休める事が出来た。
そう思えば、おばあちゃんはある意味最後は幸せだったのかもしれないな・・・

そう思う事にしました。


おばあちゃん。
本当に、本当にありがとうございました。
僕は、あなたに初孫として小さい時から大変お世話になりました。
お世話になった分、何一つお返し出来てなかったけれども、
感謝の気持ちでいっぱいです。

どうか、今はゆっくり休んでくださいね。

そして、僕たち家族を見守ってくださいね。

さよなら、おばあちゃん。

僕は、とっても幸せ者でした。