震災から7か月。思い出の地へ・・・

天気は小雨交じりの曇り。数か月ずっとチャンスを待っていた日。自己満足かもしれないけど、やっと少し肩の荷が下りた日。なんて表現していいのかさっぱり思いつかないけど、やっぱ仕事って人と人のつながりだよね・・・と思ったYoshiです。こんばんは(+o+)

今日は、仕事の関係で福島の某所に行ってきました。本当は泊まってゆっくりと過ごしたかったけど、本業が忙しくて時間のやりくりをしてなんとか確保した1日。前から日記でも何度も書いているけど前職では、あるシステムの導入とか構築とかコンサルティングに携わっていてほぼほぼ毎週福島出張&泊まりみたいな生活を半年近くやってましてね。その成果と呼べるべきある装置が稼働したのが3月1日。それから11日間しか動いてないシステムがあったんですが、今日はこのシステムのその後と、これからの整理って名目で震災対応でバタバタしていた所もあり引継ぎ業務って名目もいれつつ7か月ぶりに福島の地に足を運びました。

Yoshiさんが前の部署で担当したお客さん。311の地震原発が爆発した関係で、まさに会社も自分自身も被災して大変だったお客さん。そのお客さんが少し落ち着いたし、顔を出しませんか?って言ってくれて前からすごく気になっていたし、それこそ震災直後は毎日被災者名簿に目を通して探したり自分は都内にいるものだから現地の様子は漏れ伝われけど何も出来ない自分へのもどかしさと激しい怒り。そしてやるせなさ・・・何より自分の設計思想が甘くて、もうちょっとリスクコントロールのマネージメントをやっていれば、ここまでの対応をせずにディザスタリカバリーできたのに・・・悔しさと後悔でいっぱいで、なんか俺ってダメだなあって少し落ちこんでいて、こっちからわざわざ連絡を取って何かする・・・そんな事すらおこがましくてずっと心のどこかで気にかけてはいたけど実際別の仕事も初めて忙しくなっちゃったのかな・・・

そんなお客さんがYoshiと会いたがっている・・・少し落ち着いたし、たまには顔でも出していただけませんか?そんな話を現地の事務所伝いで耳にして、そんな事言われたら、いかなきゃあかんね・・・そんな気持ちになった所もあり、色々多角的に判断して、今の時期なら・・・と思ってようやく行く事ができたんです。実際ね、どんな顔して会って、どんな話をすればいいのか・・・今回の訪問は別に仕事の話をしにいくわけでもないし、ただ長い目で見れば仕事につながるかもしれないけど、仕事って目の前にある出来事だけを積み重ねるのが仕事ではないと思っているので、はたから見れば無駄だと思われることでも時には必要だと思うんですよね・・・

不安?何に?戸惑い・・・憂鬱。色んな気持ちを心の中で芽生えさせつつも、新幹線に乗り見慣れた景色をぼけっと眺める・・・相変わらずのどかでいい景色だ。これが、もう土地が汚染されてて、きれいな日本、いやきれいな福島・・・うつくしま福島なんて言われてた景色じゃないんだなあと思ったら、少しさみしくなった・・・毎週ね新幹線乗ってると景色も覚えてきて、なんとなくお気に入りポイントなんかもあったりして・・・だから、知ってる景色が見えない敵と戦っている・・・胸が少し痛んだ。

定刻通りに郡山駅に降り立つ。少し肌寒い。
いつもはラフなカッコのYoshiさんも白いYシャツに地味なスーツにネクタイ。眼鏡も黒い細いフレームにして革靴をきちんとはく。時間の関係で別の新幹線で来ていた先輩と合流したら

「お前の、その真面目っぽい服装は久しぶりにみたな」
「いやー一応気を使ってるんですよ・・・」

なんて。被災されているのでスーツなんぞ持ってないし、着ていないと聞いている。だからと言って自分も私服ってわけにはいかないので無難なカッコしたけど、街並にはあまり変わってなかったかな?意外と街は想像以上に平穏というか、淡々と言うか・・・誰一人としてマスクもしてない。現地の事務所の人と合流して車に乗る。

「なんか、意外とマスク誰もしてないんですね・・・」
「ああ、だって、もうしょうがないんだよ。みんなあきらめたんだよ。ここじゃテレビもラジオもホントの事言ってくれないし・・・」

キツイ報道管制が入っているのかネガティブなニュースは全然流れなくて、安全だ、問題ない、大丈夫みたいなニュースばっかりだそうです。でも、みんな知っている。でも気を付けたくても気を付けられない・・・だから諦めているとのこと。そんな話を聞くだけで胸がつまる・・・そして町並み。平穏だといっても郡山でも相当ゆれている。だから、強度に問題があるようなビルは片っ端から取り壊しになっていた。ご飯を食べたお店が入っているビルとか、大手の量販店が使てた事務所が入ってるビルとか駅前面しているビルとか自分が知っているビルがあった場所にぽっかりと空き地があいてしまっていると、なんか少しさみしくなるね・・・通りに面しているビルだけじゃなくて、一歩市街地に入ってもいまだにブルーシートに覆っている家とか見るとやっぱり爪あとの大きさに戸惑う。今建築関係は特需だそうです。でも、ほとんど取り壊しと、補修の仕事ばっかりだそうです。知ってる街並みにが若干知らない街並みになっているのを目の当たりにするとやっぱり時間はここでも流れているんだなあと思った。

車に乗せられて1時間弱、黄昏ながら流れる景色を見つつ車内では色々話を聞く。やっぱニュースとかネットとか自分は断片しか理解してないんだなあって思った。現地の生生しい話を聞くと改めて大変な被害に合われたんだなあと実感した。その間も車は結構内陸地に移動する。福島は離れたくない・・・でも、出来るだけ線量の低い土地へ・・・そう思ってお客さんは結構離れた某所に引越しし、そこで仕事を再開すべくがんばっているようです。

本当にどんな顔してあえばいいのか・・・

それだけ悩みながら車の中でぼけっとしながらも時間は過ぎる。。。

太陽が少し落ち始めた15時ちょっと前に目的の場所に到着し、おきゃくさんの所を訪ねる。

色んな気持ちが複雑に交差しつつ、きっといつもより重い気持ちになりつつも扉をあける。

コンコン

「失礼します・・・」
「あ、Yoshiさん!!よく、遠いところまで来てくれました。本当に・・・」

そこには僕の知っているおきゃくさんの顔があった。想像以上にものすごい素敵な笑顔で迎えてくれてさ、がっちり握手までされてさ、俺それだけで、ちょっとウルウルしちゃったよ・・・

部屋は机はない。
今日の為にテーブルを用意しました。そう言って大きなパソコン用の段ボールが置いてあった。
椅子はパイプ椅子。部屋の中は乱雑にいろんなものが置かれている。意外と復興支援とか被災者支援で物は借用とか貸与とか、いろんな面で支援をしてもらっているらしく、個人的にも義捐金とか生活資金も頂いていて最近アパートも借りたとの事でようやく最近少し落ち着いてきたという話から始まった。

そこから、あの日の出来事から、今の状況まで・・・

とってもリアルな話を聞いた。テレビやインターネットでは得られないとっても危機的な状況。お客さんは地震が始まっていつも違う大きなゆれに思わず机の下のに隠れたけど、机自体が右に左に揺れて、ただ地震の間何も出来なかったと言う・・・その後収まって机から出てみたら天井は全部落ち、書類から何から何まで、人一人では絶対動かない金庫まで移動しててそれは、もう大変だったようだ・・・そこから避難が始まったけど、2-3日で帰れると思ったけど結果的にもう帰れなくなってしまった・・・淡々と話をしてくれたけど、それは、心中穏やかなものじゃないよね・・・でも、どこか、悟ってしまったような、淡々と話す、姿が印象的だった。素朴な疑問とかもぶつけてみたり、食べ物ののこと、生活の事、今の悩みとか色々聞いた。印象に残ったセリフが

「もう、何も信じられない・・・食べ物だって、土地だって、福島って名前が信用されなくなってきている気がする。安全だって言うけど誰も信じてはいない。お店だってね牛乳1つにしたって北海道産の一番高いものから売れていく。安くても福島産は手を出さない・・・お米もそう。実際今年のお米は売れないから古米って扱いで袋に入れて売っているとも聞いている。やっぱりみんな食べ物とか飲み物には相当神経質になっちゃいましたね・・・」

やっぱりそうなっちゃうのか・・・みんな諦めてる。そんな言葉が僕にはショックだった。

そして、

「せっかく来てもらったので、これを見てあげてください」

そう言ってお客さんはパソコンの中に入っている写真を僕に見せてくれた。

それは、何百枚とある震災の爪あと。

これは、いつかこの日に何があったのかきちんと多くの人に見てもらいたい・・・そんな気持ちでお客さんが撮影した写真。

1枚1枚丁寧に、そのシーンの場所、何がすごいのか思い出しくもないと思うにに、それは、もう、想像以上にひどさだった。ひどいってものじゃない・・・これは、僕が今まで色んな画像を見たりしたけど、もっとすごい画像ばっかりだった・・・

そんな写真のから、避難の時の様子、避難先での様子、そんな生活館あふれる写真も見せてもらった。
よく、災害で公民館とか避難していますってニュースを見る機会はあるけど、まさか、自分の知っている人が避難生活を送っている・・・それだけでもショックなのに、そこにはリアルに人間模様が如実になっていて、言葉にならなかった・・・

写真を見せながら、お客さんが、ぼそっと・・・

「うちの子供今年卒業式だったんですけど、卒業式できなかったんですよね。でも、役所が卒業のつどいを避難先の場所でやってくれたんですけど、何もなくて・・・記念品なんて災害支援でもらったお菓子ですからね。チョコレートとか・・・それでも、子供が卒業っていう簡単な式だったけど、目頭が熱くなっちゃって何も見れませんでした。」

そんな事言われてさ・・・うちも、子供いるし、なんか、抑え切れなくて泣いちゃったよ。あれを正視してみるのは僕には無理だった・・・やっぱこの震災は色んなものを奪いすぎた・・・

1時間半くらいいろんな話を聞いた。
僕は非力だし、何も出来ないけどさ、でも、ちょっとでも、この人達ために何か力になりたい・・・
非力だけど会社からOKをもらってあることを提案してくるつもりでした。何か仕事で恩返しをしたい。

でも、

それは、

自分のエゴだって気が付いた。

色々プランは持ってきたし、会社のOKももらっていたけど、最後までちゃんと言えなかった・・・

今すぐ役には立たないけど、そのうち役に立つだろう。そういう形で支援できることどうか、役に立ってほしい・・・そんなつもりで考えた事。でも、そんな事より、お客さん含めて現地の人は、今を生きている・・・今を生きて明日を考えている。そんな所に僕が未来の話をしても何の意味がない・・・思わず気が付いちゃった・・・やっぱり自分は浅はかだなあと。

きっと、明日会社で怒られるだろう。お前は何しに福島まで行ったんだと。

でもさ、今、このタイミングで、ここでは仕事しちゃいけないんだよ!

仕事じゃないんだよ。まだ、ここに避難してきた人は、明日をどうするか精一杯生きているんだよね。だから、怒られてもいい。俺の案はボツだ!そう思ったので、概要だけ軽く説明して、終わりにしようとおもったんだけどね。おきゃくさんが

「Yoshiさん、ありがとうございます。僕ら何も出来ないけど、落ち着いたらYoshiさんのプランも考えさせてください。」

そんなリップサービスまでもらっちゃってさ・・・
俺は、何をしにここまで来たんだよ!こんな事も気が付かなかったのか!と・・・

ものすごく凹んだなあ。

結局予定1時間の打ち合わせが3時間近くお邪魔させてもらって気がつけば、19時の新幹線で帰京ですが、胸に残るものあったなあ・・・


でも、これで終わりにはしたくない・・・
なので、もう一度考え直してイチからやり直し。

今回スケジュールの都合で日帰りになっちゃったけど、お客さんから

「Yoshiさん、今度は泊まりで来てくださいね。ぜひ一緒に飲みたいです」

と素敵な事言われたので、絶対仕事作って、今度は泊まりにいくさ!


この人に会うまで7か月かかりました。
ずっと、ずっと、僕の心の中の胸の奥でつっかえていた事でした。
今日ね、「すいません。僕の考えていた事が、あと1歩詰め切れてたら、もう少しやれることあったかもしれません」
そう謝ったら
「いや、未曾有の大災害って言われてるし私も気が付きませんでした。だから誰も責めれません。しょうがないんです」
まで言ってくれて、ちょっと肩の荷が下りた。本当に申し訳ない・・・

でも、これで、自分の過去の仕事の棚卸が出来た。
これにめげずに明日からがんばりまっせ!

知ってました?JR東日本の新幹線の先頭車両には

がんばろう日本!
がんばろう東北!

ってスペシャルロゴがあるんです。そして反対側には

つなげよう日本

と書いてあります。ぜひ新幹線に乗ったら見つけてみてください。僕の仕事は、誰かの役に立てる仕事でありたい・・・このステッカーを見た時に改めて思いました。

みんながんばろうぜ!


今日はこんな感じ
ではでは。