彼と言う存在・・・

yoshi-blog2006-05-16

湿気の多さとやる気のなさは比例するもので、カラッと晴れているときの方が仕事の能率がいいんじゃないのかな?と汗だくになってウンチクをたれてみたYoshiです。こんばんは(@_@;)

自分はお友達のサイトとか、知り合いのサイトとか、はたまたニュースのサイトとか見るサイトって固定化している方で、たいていはRSSの更新情報でちぇけらーしてるけど、そんな中で親友のドクトルストーさんのサイトにはよくお邪魔してますw そんな彼がわざわざページを割いて僕の事を書いてくれたので返礼に僕も彼の為に今日はページを割いてみようと思います。

彼との出会いは10年以上前の高校生の時、お互い弓道をやっていて、そのお互いの師匠同士が知り合いで当時の横浜市の親善大使という名目で海外に行ってカナダ人に弓を教えてくるというプロジェクトに選ばれた学校がうちの学校と彼の学校。彼の学校はいわゆる私立の学校で英語略語で3文字のラグビー強いあそこなんですが、(ごめん、今まで言わなかったけど、そこで少しだけ自分のお客さんだった時期があって、学校に行ってたのよね)そんな人達。今思えば対した学校じゃないけど、あっちは私立。こっちは公立でこのプロジェクトがなければ一生出会わなかった存在の人でした。

当然、弓道の成績は別にどっちもどっちだったんじゃないのかな?個人戦でもチーム戦でもぱっとしない成績の学校だったけど、まあそんな人達と一緒に海外に数週間だけど一緒に行けば仲良くなるってもので、それ以来、線は太くなったり細くなったりしてるけど未だに関係のある人です。その海外に行った時はグループの構成が学校混在だったので、自分ともう一人の同期に彼の学校の後輩の中学生が3人くらいついて、ハッキリいってめんどくさい。当時の自分に後輩は自分で勝手に生きてるものって意識があったので、見ず知らずの国のど真ん中で3人の後輩に10ドル紙幣を渡して

「これで、うまいものでも食え。俺たちは2人で勝手に適当にこの国を楽しむからあとはお前たちも好きにしろ」

今思えば非常に冷酷な台詞を簡単に言い放ち海外の町に消えた僕たち。その後輩を彼はちゃんと面倒見て、夜ホテルの部屋に説教にきました。(笑)そん時思ったのが

「こいつ堅いやつだな〜」

って印象だったけど、日本に帰ってきても試合とかでよく話すようになって、卒業後もたまに旅行に行ったり、飲みに行ったりそんな事を繰り返してました。

そして彼は、大学に進み、博士号もとって収入もないのに、子供が生まれ、しかも双子。すげー!!!って思ったけどそれでもがんばって今も生きてる。尊敬できる人です。しかも、忘れられないのが、この人に自分の結婚式の当日受付をお願いしていたのに、

「悪い、嫁さんが産気づいた」

と言われ、僕の結婚式に子供が出産。つまりお互いこの日になるとお互いの事を思い出しちゃうんですよね〜そんな彼はやっぱりその後すごいエロイ人になって博士と呼ばれる事になったり、北極に行ったり、毛利さんと写真とったり、そんでもって海外を飛び回ってるわけですよ。なんかどんどん成長していてまぶしいくらいです。

正直尊敬している人の一人です。

まあ、彼はこれからどんどん活躍して行って、どこかで「僕に影響された」とテレビとかで言ってくれるとうれしいな〜なんて・・・苦笑

なんかまとまりのない文章になっちゃったけど、そんなに真剣に悩むほどのストレスは家でもないし、夫婦言いたい事は言ってるので安心を・・・爆笑

きみより先に社会人になってるし・・・

ただ、ちょっと電池切れそうになっただけですわ。

彼はこれからイタリアで論文の発表会?があるみたいないので、今忙しい時期ですが落ち着いたら、彼の家にでも行こうかな〜、いや、接待してくれ!接待。博士になればうまいもの食えるだろ?きっと彼はやさしいので僕の夢をかなえてくれるはず・・・

食べたいもの
・すげーうまいマンガに出てきそうな骨付き肉
・ドイツでしか売ってないうまいキフワイン
・イタリアといえばフェラーリー(実車

彼のモットーは有言実行だそうなんで、かなえてくれるでしょう。とりとめのない話になっちゃったけど、今日はそんなところで・・・

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