49日・・・

yoshi-blog2007-03-04

おことわり。

今日のブログはYoshiの心の区切りをつけるために個人的な思いを多く含んだ内容となっています。その為見る人によっては不快に思わせてしまったりする恐れがあるかもしれません。どうか、そのような思いをしたくない方はお手数ですがブラウザバックで戻るか、本日のページを見ないようにしていただくと共にお詫びさせて頂きます。













生きているといつかとおらなければならない儀式。ある日突然知っている人が側から消えてしまう。大人になればなるほどその機会は増えてその度に僕は考えさせられる。いろんな出会い・・・いつか出会えば別れが必ず訪れる。けれどそれが悲しみというのなら、出会いはなんなんだろう?楽しみ?喜び?それとも、悲しみの前触れ?何にしろ、人は出会えば別れが訪れるもの、そうであれば、その人にとって自分との出会いがプラスアルファになっている事を切に願わずにはいられないYoshiです。こんばんは(ーー;)

あれから時間が少しだけ過ぎました。

http://d.hatena.ne.jp/yoshi-blog/20070120

心の整理は完全についてはいないけど、あんなに悲しかったけど今は悲しい気持ちが薄まっている。それは自分の脳みその中で「忘れる」という行為をしてくれているのだろうか?思ったのが「もう49日か・・・早いなあ」そう思った。同じ気持ちでいられないのは思い入れがないんじゃなくて自分の中で少し、ほんの少し前に向き始めているんだろう・・・そう解釈する事にしました。

今日はすごい晴天。コートもいらなくて礼服を着ていても軽く汗ばむ感じ。お昼過ぎからお寺さんへ親戚が集合して49日の法要が始まりました。定刻どおりにお坊さんのお経が静かな空間に響き。どことなくおごそかな雰囲気。ただお経の響きに耳を傾けてじっと蝋燭の炎のゆらめきを見つめながら考え事をしてました。4本ある蝋燭。風もないはずなのに1本だけがゆらゆらとゆらめいていてなんでだろう?もしかして今日という日にお別れを告げるために今そこにいるのかな?なんて考えたりして、ただお経の響きが心の琴線に響いて、静かにただ静かに今までの思い出をリピートしていました。

お経の響きを目を閉じて聞き入っていたけど、自分の番のお焼香も終わってその後納骨です。お寺から近くの御茶屋さんまでゆっくり歩く。雲ひとつないきれいな晴れた空。この吸い込まれそうな青空がどこか悲しみもつらさも覆い隠してくれそうな感じがして、歩きながら色々嫁さんと話してた。人って亡くなってしまうと本当にはかない物なんだなあ・・・そう感じました。人の記憶なんてあいまいなもの。その人がそこに生きていた証のひとつとしてお墓があるとするならば、そうでもしないと人はその出来事すら忘れてしまうのかな・・・何にしろ、お墓という物が大切な物であることは当然だけど、妙にあっさりとした気分でなんか不思議だった。

お坊さんのお経の後に納骨され、お線香を上げました。はるくんも疲れてしまったみたいで眠ってしまったけど、しっかり手を合わせ、最後のお別れをしました。線香の煙がうっすらと空に消えていく、見上げたらこの時期には珍しい強い日差しとお墓に響くお経がなんともいえない感じでした。まぶしさで目を細めてしまう、でも、なんかこれでみんな一区切りついたのかな?晴れた天気が心の中をきれいに晴れ晴れとさせてくれているそんなふうに思いました。

その後、親戚一同でお食事会が予定されていてYoshi家御用達のとあるホテルを父親が紹介したのでいつものホテルに移動してお食事会。フルコースが出たんですけどね子供連れでフルコースのお食事は落ち着きませんわ。ホテルの人が気を利かせてくれてはるくんもお子様特別コースが出たんですけど、ほとんど親が食べてました。苦笑 だってまだ海老フライとか、ババロアとか食べさせられないよ・・・といういいわけ。肝心のはるくんも大勢に遊ばれ楽しくしてくれて、ホテルの人におもちゃたくさんもらってご満悦。車のおもちゃもらって3分でぶっ壊したら、代わりの車くれちゃって、本当に申し訳ないな・・・肝心のコースはまあ、この値段でこのコースならぜんぜんOKなんですけどね、どーせ運転手はお酒も飲めませんから・・・

お食事会も2時間ちょっとのコースで終了。終わってみれば17時を過ぎおなかいっぱいで帰宅。その後は疲れちゃったのとおなかいっぱいで何もする気になりませんでしたけどね、今21時ですけど、今日の疲れなのか、恒例の周期に入ったのか、頭のイエローゾーンになりそうなので、1秒でも早く布団に入る事にします。

今日は色々公式行事があって疲れたけど、でも、今日という日を境に○○ちゃんは僕らに別れを告げ、新しい世界へ旅立つ日です。親戚一同集まって極楽往生できるようお祈りをさせてもらったけど次、新しい世界に旅立ったことでしょう。色々な思い出、お世話になった事、言われたこと。すべてを胸に刻む事は出来ないかもしれないけど、自分も心新たに前向きに生きてみようと思います。○○ちゃんは幸せだと思う。多くの人に見送ってもらい惜しまれて旅立ったわけですから・・・私にとって人生の大先輩をまた一人失ってしまったけど、それでも後ろを向かないで前を向いて歩く事がある意味供養になるはずだと思います。自分はまだ未熟で誰かに何かをしてあげれる存在でもないけど、今日という日を胸に刻み、たまに今日みたいなきれいな晴れた空を見上げては思い出してみたいと思います。

どうか安らかに・・・そして私たちを遠くから見守っていてください。