仕事初め・・・

yoshi-blog2007-01-09

何にせよ、仕事始めというのはリズムが出来てないおかげでだるいものだ。けれどもダルイと思っている事もしばらくすれば当たり前のようにこなしている自分がいるんだろうけど、仕事もプライベートも慣れるまでにはもう少し時間がかかるんだなあ・・・とふと気がついたYoshiです。こんばんは(+_+)

世間の皆様はすでにお仕事もモードになっている人もいるでしょうけど、Yoshiは今日から仕事初め。朝すっごく会社行きたくなかったけど、子供じゃないんだから・・・そう自分に言い聞かせてみるけど寒さと眠さに太刀打ちできるイベントってなかなかめぐり合わないですよね。そんな仕事初めの火曜日。新居から新しい通勤ルートになったんだけど、駅までまったり歩いて、電車は各停なのでそんな驚くほど混んでなくて、途中快速の通過待ちで電車が止まるのでそこでさらに人がいなくなるので気分的には前の電車と同じ感じ。朝はぼけているのでちょっと余裕をもって通勤した方がよさそうな感じです。

なんか朝のターミナル駅って異様な雰囲気ですよね?なんで、そんなに全速ダッシュする必要あるん?って感じの人いませんか?もしかしたら遅刻レベルかもしれないけど、もうちっと余裕をもって出るとかすればいいのに・・・それに、神社の福男レースよろしく扉が開くと同時にダッシュして改札抜ける事に命を燃やしている人いるんじゃないの?って思うんですけど、自分には無理。

通勤時間は前の家とそんなに変わらないのかな?若干遅く家を出れるようになったけど、ごみを出す日とか考えると同じくらいになりそう。朝は急いでいるけど帰りはそんなに時間気にしなくて良いので一個前の駅から歩いて運動しよう(それでも2kmくらいだけど)坂道とか負荷がなくなったので距離で稼がなくては・・・

仕事初めという事もあって、午前中はメールチェックとか、引越ししたので社内の引越し手続きとか、諸々の処理であっという間に過ぎちゃいました。なんかね〜こういう引越し事務手続きを一括でまとめて対応してくれる会社とかないのかしら?自分区役所行って社内で処理して、定期更新して、本当に疲れますわ。特に意味分からないのが国民年金関係の手続きとかね、これでいいのかな?って感じで申請したけど間違っていたら後で電話かかってくるだろう的なあきらめ感と挫折感。

それから、新年早々バットなニュースがあってあるめんどくさい案件のあの会社。亡霊のように目の前に復活してきてげんなり。せっかく去年苦労してなんとか影響出ないようにがんばったのにふたを開けてみればまた元鞘になりそうな情勢で今年の暗い影を落とす事になりそうです。でも、ここまで商才あるのになんで人の気持とかCSとか考えて仕事できないんでしょうねえ・・・もしこの会社も着眼点が良い所ついているのに仕事のやり方へたくそなんですもん。

そして、何気にメールをチェックしていると、今日の午後、工事の立会いが1件あって、知らないうちに予定が入っていてびっくりしたけど、今日はさすがに現場事務所行く必要ないかな?と思っていたけど午後から現場事務所で工事立会い。でも、行ったら30分もしないうちに終わってしまって来た意味あんまりなかったかも・・・その後は、引き続き転居関係の手続きとか、年末やり残した仕事とか来週の仕事の整理とかで仕事初め早々残業つけて仕事ですよ。今年はどんな1年になるんでしょうかねえ???

そういえば、会社で何人かの人に会いましたけど、相変わらずストリーミング配信の評判のないこと、ないこと。苦笑 もう絶対に来年やらねー。たった一人だけ食いついてくれた人いましたけどね。時間と手間ひまかけて作った割には効果が薄いのでもう来年はやらない事にしましたw くそー来年はもっとすごい事考えてやる。(笑)

帰りもまったり歩いて帰宅。なんか電車の最初から自分の降りる駅までずっと携帯電話でお話している人がいたけど、さみしがりやさん?誰かとずっとつながってないと落ち着かない人が増えてきているんでしょうか?ずいぶん前に矢沢心が演じる教師がずっと携帯で引きこもりの子と会話しているシーンがあったけど、ドラマで、あれ、ありえねーと思ったけど目の前で実演みちゃったよ。なんか、不思議な気分ですわ。

〜〜〜〜〜キリトリ〜〜〜〜〜

ちょっと話し変わるけど、昨日実家に電話したら、とある人の話を母親から聞かされました。少しは良くなったって聞いていたので真実を打ち明けられてショックでした。前々から覚悟はしていたけどまさかそんな状況だったとは・・・言葉になりませんでした。母親からはいつでも連絡取れるように、そして遠出は控えるように・・・そう言われました。しばらく遠出は控える事になりそうです。

どうすることも出来ない。けれども人はそれぞれ自分の中に大きな砂時計を抱えていて何をしなくても時間は進んでいる。時として、その砂時計が壊れてしまったり、穴が開いてしまったり・・・自分の意図しない時間でひっくり返さないといけない時がくるかもしれないけど、でも・・・どうする事もできないじゃない・・・母親もそうだけど僕にとっても、心苦しい辛い出来事だけど、今は心のそこからお祈りをするだけです。ただ、過ぎた時間は戻らない。落ちる砂の量も増えるわけでもない。時間が長い=幸せ とは限らない。誰もがみんな心のどっかでその悲しい時間が訪れるのを覚悟しなくてはならないのかもしれません。

そんな時、同じ立場だったら僕はどう思うのだろうか・・・

どうか・・・もう少しだけ奇跡が起きる事を願わずにはいられません。

祈りとは神様に届かない想いだから願うもの。けれど、それでも人は祈らずには居られないから、内なる自分の化身である神様に「お願いします」というのかもしれません。