走行距離=心の積み重ね・・・

yoshi-blog2004-03-24

先日、車の走行距離が3万KMを越えました。記念に撮影してみました。前の車が5年でたしか3万7千KMだったからそう考えると今度の車は結構乗りこなしているな〜と思うのです。まあ考えてみればこの走行距離が今の嫁と走り続けてきた証という事になるので、そう考えるとまだまだ距離は伸びるはずそう思うのです。もし嫁さんと出会いがなければこんなにこの車も走る事は無かったでしょう。年齢を重ねるに連れて自分の行動範囲は大きくなるものです。小学生の頃は近所がテリトリーだったのが、中学生になって自転車に乗り始めると一気に行動半径が大きくなって、教科書にあった「あの坂を上れば海が見れる」そんな文章に感化され友達と海まで5時間以上自転車で走り、あの海が見えた瞬間の感動は今も思い出に残るものなのです。そして高校になると自由なお金が少し増え、公共の交通機関の定期とかを持つとほんのうちょっぴりまた行動範囲が広がって、何気ないデートとかで始めていってみる場所が少しづつ増えていったのです。


ある時はお金もそんなないし、電車をずっと乗り継いでただ電車に乗っていたって時もありました。別にどこ行くわけじゃない、ただ今思うと「いっしょにいて話が出来る」って事に純粋に喜んでいた時期だったのかなあ〜って思うのです。僕の性格上プランニングは必須です。「っていうか〜マジウロタエル男ってえ〜つかえないじゃ〜ん」って言われるのが怖いのかどうかは別として「あてのない旅」が出来ないからあてのない旅をしたいと思うのです。実際そんな旅を始めたら怖くて楽しんで旅行なんてできません。「もし宿とれなかったらどうしよう」「もし○○がなかったらどうしよう」もし・・・と色々考えてしまうのです。普通の旅行にしてもどっちかと言うと「なんでそんな荷物あるの?」って言われるタイプなのです。この前の大阪旅行でもありえない洋服とかカバンに詰めては嫁に「それ絶対にいらないと思うよ・・・」って言われて渋々荷物を減らしたなんて事もあったり、ちょっと前は友達同士で行った旅行ではホテルなんて取ってないぶらり旅をしたもんだから夜の夜中まで宿を探す破目になり、高速出口近くのモーテルに泊まったなんて事もあるのです。たまたまみんなカップルだったからいいものの、これが男同士とかそんなもんがいたら目もあてられない状況になっていたかもしれないのです。


そんな僕も会社に勤めて初めて買った車は三菱のミラージュアスティVでした。実はこの車納車当日までどんな車かよく分らなくてたまたま新聞で読んだ時に「一番ブレーキの制動距離が短い車」って言うのを知ってそれだけで選んじゃったんですよね。今思うとものすごい冒険をしていると思うけど納車日には「ああ、まともな車で良かった」それが第一印象でした。


それからものすごい勢いで行動半径が広がるのです。初めはコンビニ行くのも車で行ったりして、そのうち助手席に乗せる人が出来るとその家まで送るわけです。そうするとその土地を覚え、点と点が線になり、線が面になったりして道を覚えてくるのです。そう考えるとよく走ったものです。雪の日スピンして川に落ちそうになったり、米軍基地の側で車を止めていたらMPに起こられたり、痴話ケンカをしたと思えば大声で歌いながら遊びに行ったり、夜中ドシャぶりの中傘の代わりになったり・・・色んな事を教えてくれた期がするのです。走行距離は単なる数字でしかないけど、その数字の中にはいろんな思い出が詰まっていて、笑、泣き、喜怒哀楽が詰まっていたような気がします。前の車が持ってかれる時もその車が持ってかれるのが悲しいのじゃなくて、自分の思い出が持ってかれたような気がして少し悲しかったのです。

人は多かれ少なかれ、「出会い」と「別れ」と言うものが付きまといます。そんな時に側にいてくれたのが前の車だったような気がします。心の中で「今までありがとう」って思いながら車を送り出したのをなんか思い出してしまいました。そしてたまに街中で同じ黒い車を見つけると一瞬「あっ!!」ってドキッとする事があるけど、それって前付き合ってた人とかにバッタリ街中で会ってしまったような時と同じような驚きなんじゃないのかな?って考えるのです。まあ所詮資産価値のない鉄くず。最後は廃車という運命をたどるのだけども僕の中であの車の事は忘れる事はない気がするのです・・・


今の車にはとっても満足しています。まさに僕のフィーリングと合っていると思うのです。そしてこれからも、この車とともに色んな思い出が増えていくのでしょうか?その旅はまだ始まったばかり、エピローグまではまだ少し時間があるような気がします・・・