僕は元気です・・・

さて、今日は静かに祈りをささげる日ですね。

毎年のように色々思う事があり、そして振り返り、今日というごくごく普通に過ごしていられる何気ない日常に感謝をしています。

今日なんとなく朝からテレビをつける気分にはなれてないのです。でも、もう12年か・・・と12年前のあの時の事を今でも忘れる事はできません。

 

あれから12年たちました。

結果的に、この12年前の出来事を経て、今私は仕事で災害や防災に関わる仕事をさせてもらっています。特にここ1年は、その仕事先端のプロジェクトの中心で多くの人と関わり、色んな人ともしもの時に備え何ができるのか?というのをひざ詰めで考えて、何が出来るか悩み、そして多くの人、お金を動かして仕事をしています。これはずっと希望していた事でもあるんですが、今こうして12年前のくやしさというか何も出来ない自分というか、何ができるんだろう?と模索していた自分としては、ある意味運命的な事じゃないかなとかみしめて日々仕事をしています。

昨年防災士にもなりました。それ以外にも防災関係の資格もいくつか取得し日々来るべき日に備えるための仕事をしています。

でも、来るべき、その日は起きてほしくないけど、起きる事を考えて日常をどうやって過ごすのか?というのが大事だなあってしみじみ感じる場面があります。

また、この手の仕事というかこの手の対策は一長一短ではすすまなくて10年スパンで考える事もあったり普段はどうするのか?そんな事もかんがえなければなりません。それを痛感する毎日・・・

今、当たり前だと思う事もでも、世代や地域、属性に寄って全然異なります。例えば今最新の情報はスマホを持っていれば大抵手に入ります。でも反面高齢の方はスマホを本当に持っている(所持)しているだけで通話以外の事はしてなくて情報はNHK一択だという話も聞きました。

逆に社会的にハンデを抱える方々のハンデの種類により得たいもの、得られないもの。気持ち、行動すべて異なる中ですべての人に完璧に対応できる100点というのは非常に難しいなあと思う事もあります。そういう意味で防災的な部分では自助、公助、共助という言葉がありますが自分の中で出来る事はできるだけ対策して、地域や周りの人と支え合うというのが出来る範囲の事なのかなあと考えてます。

その出来る事のために自分として、仕事として何が出来るのか?というのを悩む毎日です。

12年前、何度も僕は日記に書いてますが原発がある地域仕事しているシステムエンジニアでした。半年かけて作ったシステムは震災で木っ端みじんになりました。その時設計ミスをしてシステムのバックアップデータを遠隔地に保存する仕組みをコストがかかるからと思って最終的にカットした形で納品した結果データもシステムもすべて使い物にならなくなり、その後このシステムがない事で多くの人に余計な負担をかけてしまったことに、そして、その時自分がその場に行けなかったことを一生後悔している所です。

 

そのシステムを作るのに半年くらいずっと毎週泊りの出張をしていた僕が当日たまたま虫の知らせで出張を取りやめていたので今日ここにいます。もし、出張していたら打合せに使っていた会議室の天井が抜けていたので当たって死んでいたかもしれない。いつも使っている道ががけ崩れで埋まっていたかもしれない。何より帰り使っている駅が津波で流されていたので僕も流されていたのかもしれない・・・そんな出来事を鑑みると今ここにいるのが当たり前じゃないという事を胸に刻んで今日まで生きています。

 

あれから、その気持ちを忘れずに様々な場面で仕事に活かしてきました。震災直後号泣しながら対策した仕事も、その悔しさと、何とかしたいと思って苦しみながら、それをきっかけに作った仕事も、それを元に拡張した仕事も、そして、今進めている仕事のプロジェクトマネージャーとしてこれから進める仕事もすべての原点は12年前の今日だと言っても過言ではないと思ってます。

 

今日という日を何気なく過ごせている事に最大の感謝を・・・

物足りないと思う何気ない毎日があることに、感謝を・・・

そして、これからも、今日という日を踏まえてひたむきに、前向きに、そして、今ここに存在している意味と可能性を大事にして、また明日からコツコツ頑張りたいと思います。

 

追伸

僕は元気です。

だからこれからもがんばります。