ちょっとした事とか、日ごろの気遣いとか、何気ない配慮っていうのはとっても大事でそんな事も出来てない人っていくら仕事が出来たとしても、その程度の人かって思われるのは残念だなあって思ってしまったYoshiです。こんばんは\(-o-)/
今日は朝から某所で1日トレーニングを受講していたので楽しかったというよりためになったという感じで終わった1日。やっぱり勉強って大人になればなるほどする必要があるなあって思う今日この頃。
ちょっとした出来事があってね。これ仕事の話だから詳しく書きませんけどね、ちょっとした気遣い出来ないって本当に残念な事だと思いません?別に完璧にやれって言っているわけでもブチ切れているわけでもないんだけどさ、たとえば朝会社来て「おはようございます」とか帰る時「お疲れ様でした」っていう挨拶にしかり、何か物を借りた時に返す時にさ「ありがとうございました」って言うのと、借りたら元の状態にして返すべきだと思いません?そういう事出来てないって事は、きっとこの人は仕事でも雑に対応されちゃうんじゃなかろうか??って思いません?
自分はそれが怖いし、信頼とか信用を失うのは目の前の仕事を失うより罪でつらい出来事だと思っているから、人を押しのけて出し抜いて得た仕事より、一緒に汗水流して苦労して勝ち得た仕事の方が何千倍も価値があると思っているからこそ、やっぱり一緒に仕事してくれる人には「ああ、この人に頼んで良かった」って思われたいなあって思っているからこそ、出来るだけがんばっているつもり・・・
でも仕事でがんばってもさ、目の前の人として当たり前の事出来ないようじゃだめだよね・・・そこって大事だなあって大人になっておっさんになればなるほど、ちょっとした些細な気遣いって本当に大事。マジで大事。
そんな人として疑う些細な出来事があったんですけどね。それを垣間見ると結局そういうのって人に教えられるものじゃなくて自分で気がつくものなんだあって思った。
些細な事だけど、うちの子供には口をすっぱくして言っている。例えばファミレスでご飯食べた後、出来るだけ食器をまとめて片付けやすいようにして出るようにしている。これは嫁さんが飲食店で働いているっていうのもあって
「片付けるほうとしては、まとめてくれているだけでもありがたい。だってそうしたら片付けすぐ出来るし、次のお客様入れられるし、何より私達も気持ちがうれしくなる」って言われたのが気付きのきっかけ。
もちろん、色んな意見もあるだろう。「お金払っているんだから、片づけまでが仕事だよ」って言うのもその通りだと思う。だから、片付けていない人を責めるつもりは毛頭ないし、そこは考え方の多様性って思っている。だから自分以外に強制はするつもりはない。
ただ、そうしておいて損はない。「損はない」っていうのを大事にするようにしている。確かに片付けるのメンドクサイ。デモ、そうする事で自分も気持ちよくお店を出れるし店員さんが気持ちよく仕事してくれるならそれでいいじゃない?誰も困らないし・・・って思うと笑顔で最後お会計の時に
「ありがとう」
って言える気がするんですよね・・・ま、色んな意見があると思いますが、今日自分の所掌する何かを貸し出し後の出来事が、貸した側として残念な出来事があって、「あーこれか、嫁さんが言ってたのはこういう事か」って実感したからちょっと日記に書いてみた。
人としての礼儀って結局、ちょっとした相手への思いやりなんだよなあ・・・もちろん自分は完璧ではないし毎回出来ているなんて口が裂けてもいえないけど、こういう心がけ忘れないようにしようっと・・・
今日はこんな感じ
ではでは