胸が苦しくなったとき

人は実現が難しい事を、他力本願として願い事として、何か信仰のある物にお願いしたり、誰かにかなえてもらいたいからその人に伝えたりしていると思います。それが誰であれ、なんであれ、その人にとって大切な何か、大事な何かに対して自分の思いを伝えていると思うのです。例えば流れ星を見て貴重な体験をした瞬間に「何か願をかけたい」という瞬間に思うから「あっ流れ星にお願いしなきゃ」なんて思ったりしていると思うのです。この願をかけると言うのは自分に対する戒めであったり、目標であったり、そんな風に考えるから願をかけているんじゃないのかな?って思うのです。僕も昔やりました。ミサンガつけてこれが切れるまでに○○をうまくなりたいとか、この仕事が成功するまで○○をしないとか安易な気持ちでやっていたような気がします。でも、彼女の髪を伸ばしている理由が願をかけていると知ったとき、願をかけている内容を知ったとき、なんかものすごく泣きそうになりました。決してそんな表情はみせなかったけど、心で泣いたそんな感じでした。彼女が髪の毛を伸ばしている理由も、

「俺ね髪の毛長い人大好きよ」

そんな言葉の為だけに伸ばしているんじゃなくて、その裏に大事な理由があるのを知りました。その願いは叶うといいな・・・いや、絶対に叶ってほしい。ただ、今はそう思うだけです。でも僕はのど元まで出掛かって飲み込んだ言葉があります。

「それは、願うんじゃなくて、カナエルものだから大丈夫!」

僕にはあと一言、大事な言葉がいつも足りません。でも昔ある本でこんなフレーズを見た記憶があります。

・願い事は一度言葉に出せば叶うはず。

僕は今、この言葉を信じてみたいと思います。