哀れ・・・

相手から求められてない(必要とされてない)って哀れだなあって思うときがあって、相手が頼りにしているって事は相手にとって、この人ならきっとなんとかしてくれる人なんだって思われていると考えると苦行だと思うメンドクサイ事の積み重ねが信頼とか信用になるんじゃないのかな?って思っているYoshiです。こんばんは(^.^)

何か聞いて「それは、〇〇さんに聞いて」って言うんだったら、その人に聞く必要がない。

どう思います?って聞いている時、相手は決めて欲しい、判断して欲しい、アドバイスが欲しいって時に答えない人ってこれまた聞いている意味がない。結局

「あーなんだ、この人に相談しても時間の無駄」

って思われていると思うの。本人はきっと色々な事を考えてある意味リスク回避をしているのかもしれないけど、それって薄っぺらい判断なんか相手に見透かされていると思うのよね。だから、

「俺だったら、こう思うけど、もし不安だったら他の人にも聞いてみて」

とか

「きっと、俺だったら、こうしようと思うけどどうかな?」

くらいは言ってみるべきだと思う。それすら出来ないなら、そこに息すって吐いているだけの存在だってことになっちゃうよね。

それを積み重ねると結果的に「この人に何聞いても意味がない」ってレッテルを貼られると結果的に、対面でも、電話でも、メールでも、その人の存在をすかした状態で物事進んじゃって、それを変な挽回しようとすると結果的に空回りしちゃうよね。

だって、その状態って自分も相手にコンタクトとりずらいし、相手もコンタクトしてこないって事は、自分が判断する情報が集まらなくなっていくよね・・・だから余計に人は寄ってこない。

まさに、居場所がなくなるって場面を垣間見ると、人が困っていたり、何か成しえようとするときに問いかけられた疑問は、ちょっとでも自分の爪あとを残しておくべきだし、自分が関わらせてくれているっていう意味をじっくり考えるべきだなあって思う。

他人は自分の想像以上に自分の事をよくみていて、

自分は他人の想像以上に他人の事をよくみてなくて、

自分が置かれている立場、意味、価値なんていうのは結局他人がレッテルをはるものでしかないんだ・・・

真面目に誠実に生きるって意味は、毎日の積み重ねです。

今日はこんな感じ
ではでは