あれから3年が過ぎました・・・
早かったと言うべきか、まだ3年かと言うべきか・・・どちらにしろ人それぞれ色んな思いの中で過ごしてきた3年間であった事は間違いないと思います。今日は日本が一番静かな日。今日という日に僕がここで静かに祈りを手向ける事が出来るのも何かの偶然が重なった積み重ねの毎日であるわけで、改めてこれからの毎日、毎日を後悔しないように精一杯生きようと思いました。
14時46分。
うちの会社でも全社員が仕事を止めて1分間黙祷を捧げました。
静かなフロア・・・思い思いに祈りを捧げていた刹那の時だったけど色んな事を思い出してちょっと泣きそうになっちゃったよ。
でも、今僕はここにいる。
当たり前のように毎日を積み重ねている平々凡々な毎日。
でも、この当たり前だと思う毎日も、一瞬の奇跡の上でしか成り立ってない現実。
そう思うと、私も、私の家族も、親戚も幸いな事に直接的な被害や影響はなかったけれど、でも、他人事で決して片付けられない今日と言う日。多くの人が大切な人を失ってしまった日を絶対に忘れてはいけないんだなあって思いました。
何度も、この日記に書いているけど。僕は、あの日死んでいたかもしれない・・・
なぜ?なぜ?僕は今ここにいられるんだろう??
毎週、毎週泊まりの出張で福島に行っていて3ヶ月以上毎週同じ行動をしていたのに・・・
なぜ?その日だけ、行くことをためらい、そして、「行かない」と決めたのだろう?
偶然と言ってしまえばそれで済むことかもしれないけど、未だに心の折り合いがつけられてない自分がいます。
なぜ、神様は僕という存在を生かしてくれたのだろうか?
正直3年という日は色んな出来事を積み重ねてくれました。
もし、僕が3年前の今日と言う日でいなくなってしまったら、はるくんの卒園式、そして入学式も、今週卒園して入学するあいちゃんの晴れ姿も、毎日のどうしようもないくだらない毎日も、全部なかったこと・・・と思うと非常に複雑な気持ちです。
今、僕がここにいることが出来るのは多くの奇跡の上でしか成り立ってない現実。
もしかしたら、地震で打ち合わせをしている会議室の天井から落ちてきたもので頭を打っていたかもしれない。
駅で電車を待っていたら大きな地震が来て津波に呑まれていたかもしれない。
移動中の車が走っている道ががけ崩れで落ちていたかもしれない。
非常に強い線量の放射線を浴びていたかもしれない。
全部、全部ひっくるめて今でも冷静に考えてみて、多分、そこにいたら今の僕はいなかった・・・
でも、今僕はここにいる。
あれから3年。
いろんな人に色んな思いがあるでしょう。
この1分間の黙祷の中で色んな想いがこみ上げてきて、今ここにいることが出来る幸せ。
毎日楽しい日ばかりではないし、辛いこともある。
この喜怒哀楽を感じる喜びを強く胸に刻んで、これからも与えられた命を決して粗末にせず。
自分なりに、精一杯生きて、自分の出来る範囲で、出来ることを一生懸命頑張ろうと思いました。
だから、僕は今日と言う日を絶対に忘れない。
本当にありがとうございました。
残りの人生は、自分と自分の家族、そして自分の周りの人にためにがんばります。