2011.03.11絶対に忘れちゃいけない・・・

yoshi-blog2011-03-11

まず、初めに叫ばせてください!
今、僕の知ってる人が働いている地域、出張先でとってもお世話になってる人が生活している地域が避難勧告を受けています。どうか、どうか無事でいてください!お願いです。本当に何事もありませんように!!

そして、僕も出張でよく出かけた場所が、見ている場所、立っていた場所が災害に会いました。本当なら、もしかしたら、僕は今週福島に出張に行く予定になっていたのです。もしかしたら、そこに立っているのは自分だったかもしれないのに!!!
頼む!どうか、どうか、無事でいてください!

みなさん大丈夫でしたか?Yoshiは家族含め全員無事です。幸いな事に一瞬のタイミングの差でYoshiも災害に合わずに済みました。でも、どうやら日本最大の激甚災害のようです。明日になれば刻一刻と悲しいお知らせが増えるでしょう・・・まずは、どうか私の知り合いが被害にあってない事を、切に、切に、切に願いたいものです。

今日の出来事。
Yoshiは今日、人生初めて帰宅難民になりました。今日は職場から家まで6時間弱25キロを歩きました。このノウハウは誰かに役に立ててもらいたいと思って今日の日記にしたためる事とします。

14:45分ごろ。
打ち合わせ中。最初は小さな揺れ。窓際の会議コーナーで打ち合わせをしている。だんだん大きくなり窓際にいるのがマズイと言う事で打ち合わせメンバー全員が居室に戻る。戻った瞬間に最大深度の揺れ。社内は全員その手のセミプロなので静かに淡々と机の下にもぐる。

Yoshiは揺れ始めた瞬間から「これはヤバイ!」と思って電話を自宅にかける。

【ポイント1】大きな地震の時は携帯は役に立たない。可能な限り有線電話から自宅の有線電話にかけるべき!ヤバイと思ったら、この段階でホテルの手配をしないと取れない。(地震直後20分までは東横インに空きがあったけど、30分後には満室だった)

とりあえず嫁さん、あいちゃんの安否を確認。はるくんが幼稚園からまだ戻ってないとの事。とりあえずはるくんを嫁さんに託し、電話を切る。嫁さんには

「この電話以降たぶんつながらなくなる。だから無理はするな。こちらから出来るだけかけ続ける。とにかく自分と子供の身だけを考えろ」

そう電話を切った。切った直後携帯電話、普通の電話がかかりにくくなる。
フロアについているデジタルサイネージが全部NHKの放送画面になり震源地が福島県宮城県あたりと表示。今日一緒に打ち合わせしていた人は朝福島から出張できている人。真っ青になって職場に連絡を取り続ける。自分も出張している場所だけに愕然とした・・・

会社から、本日の全予定キャンセル指示。外出抑制命令が出る。電気はきているがいつ止まるかわからない。

「とりあえず、みんな携帯のバッテリー充電しておこう。無駄にはならない・・・」

【ポイント2】電気がきているうちに携帯は充電を!

一斉に充電開始。合わせて出張中の同僚の安否とか家族の安否とか各々確認し始める。余震は続き、都内にも津波警報が出て地下や1階にいる社員に2階以上にあがる命令が出る。そのごニュースにはひどい明らかにヤバイ映像が流れる・・・これは本当にヤバイ状況なんだ・・・あらためて思った。

一旦余震が収まった時に近くのコンビニダッシュ。食料を買い込む。昨日もらったQUOカードで買えるだけ飲み物、お菓子、シリアルバーを買う。

【ポイント3】歩く時の食糧(Yoshiの場合)
・ペットボトル500ml×2
・シリアルバー×3
停電していると、自動販売機もコンビニも閉店になる。食料は手に入る時にゲットすべき。

会社に戻って残る人、帰る人、人の思いは様々。幸いYoshiの会社の建物はこの辺の地域でこの建物が崩れるくらいの地震なら世の中終わりだという超頑丈なビル。自家発電もあるし、社員3日は籠城できる食料もあるとのこと。でも、Yoshiは歩いて帰る事を選択した。上司から

「お前帰るのか?」
「ええ、帰ります。」
「だって電車動いてないぞ」
「歩いて帰ります」
「歩いてって・・・」
「これ以上余震が続くしすぐ状況が好転するとは思わない。たしかに歩いている最中被災するかもしれない・・・でも、自分は今日は帰りたい。明日、明後日このクラスの地震がくるかもしれない。動ける時に動いておきたい」

会社は、判断は個人の意思を尊重だったのでそれ以上言われなかった。なのでYoshiは帰宅を選択した。
もともと、いつかは職場から家まで1度は歩いておかないと、こういう災害時に自分を守れない・・・そういう意味で今日なら歩く理由がある・・・そういう判断でもあった。幸いな事に携帯は死んでいても職場のネット回線は生きていた。死なないうちに職場から自宅までのルートを検索してプリントした。

【ポイント4】携帯は使えない。帰るルートは頭に入れるか、紙に印刷しておくべき。

津波が来ると言われてる・・・だから海岸線沿いの国道は使えない。橋も駅も極力カットして歩きたい・・・そういうルートを選択して帰る事にした。歩く距離は25キロ。予定時間は5時間〜6時間。今までこんな距離歩いたことない・・・そんな距離。幸いな事にYoshiは出勤の行き帰りはスニーカーで歩いて職場で革靴に履き替えるのでスニーカーがあったのはすごいラッキーだった。

【ポイント5】できれば職場にスニーカーみたいな歩きやすい靴があった方がいいかも・・・

嫁さんに何度か電話してようやくつながった。はるくんを幼稚園から回収してきて無事だとのこと。
「今から歩いて帰る。大丈夫時間はかかるが絶対に帰るさ・・・」

そう電話を切って歩くことにした。先輩も途中まで一緒、どうやら奥さんが新宿にいて、子供と連絡が取れないから一刻も早く帰りたいとの事。駅前は電車が止まっていて、車も幹線道路以外は走ってなくて変な雰囲気。駅では座り込んでいる人もいて、駅が近くなると人の流れが遅くなり滞留するのが結構つらかった・・・

【ポイント6】自分のペースを考えて歩くこと。休憩を入れる事、歩く場所を考える事。ラジオを聴きながら歩くとベター

幸いMP3プレーヤーがラジオ機能を持っていて、ヘッドホンで聞きながら余震情報とか、避難施設とか鉄道運行情報を聞きながら歩いた。正直携帯はなんの役にも立たない。Iコンシェルは14時の地震情報を20時にくれたり、エリアメールが19時にきた。役立たずが!!まともに機能していたのは何気にツイッターMIXIだった。

途中で先輩と別れる。
「気を付けてな。」
「○○さんも・・・お子さん無事だといいですね」

そう言って別れる。まだ5キロくらい。長い長丁場だ・・・でも、Yoshiは比較的条件は良かった。情報も入る、防寒もしてるしスニーカーもある、食料も水分もある・・・ただ、トイレは考え物だった。さすがに寒いしトイレには行きたくなる。計画的に行ける時に行かないと入れない。都内はまだマシだった。電気が来ていたから・・・川崎に入ったら停電エリアがあって、停電エリアはお店がやってない。道の車は大渋滞だけど、幹線道路以外は真っ暗であるけるものじゃない・・・女性は夜道は考えた方がいいかもしれない。

【ポイント7】懐中電灯と携帯トイレ、会社に常備しておこうと思った。

1時間に10分の休憩ペースで歩く。最初の10キロはなんともなかったけど、だんだん苦しくなる。途中電気が復活したエリアではコンビニの棚になにもない、おもちゃと雑誌くらい。トイレの列が長い。トイレはマジで考えないときついなあと思った・・・

そんな事考えているうちに途中、途中の駅を一応確認、動いている訳もない。乗る気もなかったけど、こんな時にタクシー待ってるやつはあきらめた方がいい。車に乗る事自体間違っている。来ないタクシー、バスを待つなら歩いた方がマシだ。しかし、だんだんペースは落ちる。

なんとか新横浜駅付近に到着、さすがに足が限界。でも、ここで止まっても意味がない。ラジオから帰宅難民用の収容施設に横浜アリーナーがあるって聞いたので一瞬萎えそうになったけど、「ここで諦めたら意味がない!絶対に帰るんだから!!」と何か、心にあるものを奮い立たせ歩く。

でも、何度もくじけそうになったけど、何とか無事?いや、満身創痍で到着。
結局6時間弱かかったけど、いい教訓になった。
次がない事を祈りたい。

今日歩いた歩数46000歩

そして、これ以上被害が拡大しませんように・・・