調べると言う事は・・・

yoshi-blog2006-09-14

何か真剣に考え事をする時は音がしている環境よりも音がしない環境の方が自分にとってスッキリとした答えが出てくるであろうと思うのは、音がすること=余計なこと。そして、自分を邪魔している言い訳をしているだけだと分かってしまったYoshiです。こんばんは(+_+)

今日の話題はめっさつまらない話題なので(いつもつまらないけど・・・)適当に流すか今日は見るのやめた方がいいと思いますので、あらかじめご了承くださいな。

仕事でも趣味でもなんでもそうだけど、「調べる」って行為は自分の脳みそを使っている行為だと思うんですよね。その調べるって行為は一番手っ取り早いのは「他人に聞く」って事で、簡単だけどこれってなんのスキルアップにも役にも立たない話で、本当は「自分で調べる」これに尽きると思うんですよね。調べた物を忘れたりしないようにノートに記載したり、記載したという記憶を脳みそにためた瞬間に調べた事は自分の知識の糧として脳みその年輪に刻まれるんじゃないのかなあ?って思うのです。仕事でもそうだけど、自分で調べた事って結構忘れなくて逆に人に聞かれるとスラスラ答えてしまうけど、人に植え付けられた知識って根っこが浅いからすぐ忘れてしまって「あれ?前に聞いたけどなんだったんだっけ?」って事よくありませんか?

最近調べると言う事も簡単になっているんですよ?昔は図書館に行ったり、他に知っている人を探してその人の知識を分けてもらったり、そもそも知識よりも実践、身で覚える形式もあったと思うけど、今は情報の外部記憶装置が発展しているから、その辺チョコチョコ調べれば簡単に答えなんて見つかるんです。ただ、逆に欺瞞情報があふれているからどれが本物か?っていう真贋の鑑定能力がこれからの人間には必要なのかな?って思いませんか?一昔は詰め込み教育とか言われていたけど外部にデータベースがもてなくて、自分の脳みそをデータベースとしてフル活用しなきゃいけないから一生懸命記憶していたけど、今は記憶するよりも与えられて必要最低限のでデータで何ができるのか?って脳みそが考えた方が効率いいんじゃないのかな?って思うんですよね。

たとえば、旅行一ついくのも、雑誌を買ってきてあーでもない、こーでもないとするよりも、ネットで最新の情報を仕入れつつ、そこに訪れた人の旅行記とか感想書いてあるブログを斜め読みすれば旅行会社とかが書いてある通り一遍等(漢字あってる?)の内容よりも生の声とか聞けて意外と判断基準になるんですよね。まあ中には偽装してさも個人レポートみたいな書き方してるけどそうじゃないのが、よくアダルトサイトへの勧誘ブログなんてのがまさにそうで、ブログ風に書いて「ここのサイト利用したら無料で素敵な出会いがあった」とか書いてあるけど、そもそも本当に有益で出会いがあるなら、誰も苦労しないし、そんなお得な情報を不特定多数に教えるお人よしはいないと思うんですよね。 苦笑

まあ、今度は調べた物をどう活用するか?って課題なんですけどね、自分はその情報を手に入れたことで目的を達成しているのかもしれないけど、この情報が断片でもほしい、この外延情報があればより何かがつかめる、自分が調べた何かがひょんなきっかけで役に立ってしまう事もあるんですよね。よく自分がその機会に出くわすけど、自分にとってはごみ情報でも他人とっては宝物かもしれない可能性を秘めている事って案外身近ネタなんですよね。たとえば、

A社と対応していたけど、どうもA社の担当者の対応が悪い。

隣の席の山田さん(仮名、26歳OL どんな設定だよw)は、ある仕事をA社に頼もうと思っている。

自分と山田さんが頻繁にお互いの仕事を話していてパワーランチとかで情報を交換していれば、自分にとっては「A社使えねー」と思うだけでも山田さんにとっては「その話聞いてよかった。だったらB社にお願いしよう」って事になるんですよね。そんな出来事結構あって、日々の世の中の動きから仕事の手順までつまり情報は手元にあればあるほど、何かをする確度があげられて効果的だって事は明白なんですよね。だから、自分たちの情報を持ち寄るために打ち合わせしたり、情報交換するけど、最近キーワードとしてナレッジマネージメントってよく言われるけど、知ってます?

Knowledge Management
http://www.nifty.com/webapp/digitalword/word/077/07791.htm

データとして表わされる単なる情報から、ビジネスに役立つ知識をいかにして得るかという管理プロセスのこと。また、それを実現するアプリケーション。元々「ナレッジマネージメント(知識管理)」は学術的に研究されていた分野だが、ロータスグループウェア(ノーツ/ドミノ)の発展形として唱え始め、今ではすっかりIT業界のマーケティング用語になっている。ナレッジマネージメント(KM)では、知識を「暗黙知」と「形式知」という2種類に分類する。暗黙知はいわゆる職人のノウハウと呼ばれるもので個人の中に蓄積される知識、一方形式知は誰でもが参照できるマニュアルといった体系化された知識である。この2つの知識を相互に移転し合い、結果として質の高い情報活用を行なうプロセスがKMである。

もともとは別の意味だけど、今じゃこのナレッジマネージメントって本当に重要ですよね。ここでも記載されている形式知っていうのは昔からよく言われていて社内でも「マニュアルにまとめろ」「過去の事例をまとめておけ」って言われるけどまとめた後って発展ないんですよね。これが・・・w そして暗黙知って言うのがまさに宝の山なんだけど、これを共有するのって本当に難しいですよね。

なんで難しいっていうかって言うと「程度」の問題でどこまでデータを出すのか?どこまでが有効な情報なのか取捨選択ができないと自分たちの中でごみ情報の中で真実が発見できないって事になりそうだけど、これを有効活用するためにさまざまなシステムとかアプリができているけど、自分の中ですっごく有効なナレッジマネジメントツールって一言で言うと

検索システム

って事だと思うんですけど、どう思います?

仕事で何か分からない事があると、自分はある特定の場所、人、物に情報がないなあと思ったらとりあえず検索してみるんですよね。まあある人が言うにはGoogleの検索使いこなせたら一人前なんていう人もいるけど、僕はGoogleに頼った場合は「Googleの神様にお願いした」って表現を使うけど本当に仕事速くなりますよね。

もっとも、この神様は有効だけど、それ以外の神様はスペック不足ですなあ。特に蜂系は最低ですよw

海外系の検索サイトでお勧めなのはTEOMAですかね?

http://search.ask.com/

たとえば、何か問題が発生した時に、過去に同じような事象がないか?他の類似案件で問題なかったか?一昔前までは管理する部門、メーカー、取引先の囲われた中の情報でしかなかったけど、今じゃその囲いのタガも簡単に外れて個人の書いてあるブログ、評価なんて少し斜め読みしてみれば何か製品を買う前に「これはヤバい」「これは評判いい」なんて自分で判断できるんですよね・・・

まあだからなんだって言うわけじゃないけど、今日仕事してて自分で結構調べものしてたんですよ。この調べも乗って言うのも自分一人のためじゃなくて、きっと他の人も探している情報で、これを知らない人はYoshiが過去に調べたけれども、その調べた事も分からず一からはじめているわけですよ。なんかもったいない。自分自身も調べ終わってみれば実は社内で同じ事してた人がいて

「なんだ早く言ってくれれば教えたのに」

なんていわれてガッカリしている人がいたりして・・・

何にしろ、人に何かを教えるのは難しいと昔から言われているけど、人に教えた情報を鮮度を保ちつつ保管するのはもっとむずかしいってことなんでしょうかねえ・・・

あーもったいない。この情報自分のために役に立ったのかもしれないけど、日の目をみないまま終わりそうな予感がします・・・