引退できる人はうらやましい・・・

yoshi-blog2006-07-04

睡眠不足の足りない時間をバスと電車で30分補完したものの、結局に快眠とはいかなかったYoshiです。こんばんは(>_<)俗説かもしれませんが、SAS(Sleep Apnea Syndrome)の人は寝つきが物凄くよく、すぐ眠りについてしまうと、どっかに書いてあったのを記憶してます。つまりドラえもんの、のび太の寝つきも実はSASなのかな〜と考えたり、まあジャイアンは完全にSASですね。(笑)例えば横浜駅相鉄線の電車で出発待ちをしていると、扉が閉まる前に眠りに入って海老名で扉が開いた後に目が覚めてこの間完全に熟睡。昔厚木に通っていた時は飲みに行った次の日とか残業して遅かった次の日は「あそこで34分睡眠時間が稼げる・・・と調整睡眠していたものです。まあ、今となってはあんな恵まれた通勤は絶望的なんですけどね。

なんか今日は仕事の事ばかり書いてもしょうがないのでちょっとした話。

サッカーの中田英寿引退してしまいましたね。

ヒデ電撃引退、ファン絶句「まさか」「残念」
http://www.yomiuri.co.jp/wcup2006/news/20060703iew2.htm

「プロを卒業し、新たな自分探しの旅に出たい」――。サッカー日本代表の中心選手として長く活躍した中田英寿(ひでとし)選手(29)が、そう言い残して突然、現役引退を表明した。日本が出場した3度のワールドカップ(W杯)でチームを支え、欧州の名門クラブを渡り歩いて世界にその名をとどろかせた「ヒデ」の早すぎる決断。「サッカーを通じて伝えたかったことをたくさんの人に理解してもらった」という言葉を、かつての指導者やファンたちは、複雑な表情で受け止めた。

まあ、このキーワードを入れるとアクセスが増えるからなどと安易な事も思ってますが(ーー;)まあ彼は引退したのです。この辺の話とかは世界中で話題になってるのでこの辺は割愛しますが、引退という言葉についてちょっと触れてみたいと思います。

引退とは

引退(いんたい)とは、官職や地位等から退いたり、スポーツ選手などが選手としての身分を離れたりする事である。プロスポーツ選手の他、スポーツを行っている学生・生徒らが最終学年となって高校・大学受験等で試合出場の機会が無くなり、所属するクラブや部活動から離れる事も引退と呼ばれる。 また、歴史的に注目された電車の車両などが役割を終えたときも、車両を擬人化して引退と呼ぶことがある。

典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%95%E9%80%80

鉄ちゃん的には「ありがとう出雲」とかになるんでしょうけど、一般的には人に対しての言葉になりますよね?ここにも書いてありますが、後進に道を譲る引退と、卒業などで引退する場合、概ね2パターンになると思います。前者の引退はまだ自分の気持ちとかが影響するけど、後者は自分の都合なんてあんまり影響されなくて「まだ自分ももっとできるのに」とか思っているけど時間的な制約で引退してしまう。そんな事特に学生時代はあったんじゃなかったのでしょうか?

この後者の引退はせつないものです。例えばスポーツにしても同じ競技をしていても世界が変わる。今まで自分が所属していた場所が無くなり同じ場所に立ち止まる事は出来ないけど気持ちは早々簡単に切り替える事なんて出来ないんですよね。本当にせつないものです。若干この気持ちの切り替えと人生のタイミングの切り替えを誤ってる人がいて「あーまたあのOB顔出してるよ」なんて事もあるとか、ないとか・・・後者の引退という形を取ったとしても競技なら別の場所でも実際は出来ると思うんです。だけど専門的なスポーツであればあるほど村社会的な競技団体からスポーツサークルまであって、本格的に続けるにはそれなりの団体に所属する事になると思います。でも、同じ競技をしようとしても、その場所の居心地のよさとか加味されないし、新しく人間関係を再構築しなきゃならない。人間関係は場所とか団体に大きく依存される。だから同じ関係でずっといることなんてできないんです。

前者の後進に道を譲るパターンはまあサッカーでいう所の日本代表を引退します!みたいな新しい人をその場所に招き入れる行為と言うのでしょうか?新しいメンバー、新しい血が入ることでまたその団体が生まれ変わるそんな事なんでしょうかね?逆に世の中はこの引退しないでいつまでもしがみついている人たちもたくさんいます。大人世界では引退って言葉はないけど、自分の都合でそこに留まる場合と自分の都合じゃない場合でそこにとどまらなければならなパターンがあると思います。どっちも本当はそこにいちゃいけないものかもしれません。

人は徒党を組むのが好きです。気の合う仲間ばっかで群れることを馴れ合いとかいうけどとってもぬるま湯の状況は気持ちも楽なんです。けれども言い方悪いけど、そこに留まるって事は何も変わらないって事でむしろ状況は
下降していくものだと思いませんか?だからチームなり団体なり組織は引退とか転勤とかそういう言葉で人を流動させることで新しい風と新しい血を入れてより前向きにより、強く、より目的に向かって一致団結していく物なのかもしれません。

例えが悪いのかもしれないけど、昔あるゲームで結構強いチームがありました。レベルの低い時代から苦楽を共にした仲間はバーチャルと言えども見えない信頼と大きな絆で小さなチームは大きな血盟へと成長し、そして有名な血盟を倒したけどメンバーが一人引退し、また引退し、新しいメンバーを入れるのに抵抗していたメンバーもいて、結果として寂れていってしまったんですよね・・・また、仕事も同じ、ずっと同じ所にいると刺激がなくなってしまう場合もあるのかな〜と。新しい血を入れないとその血は濃くなっていく、濃くなりすぎると弊害が出る。そして濃くなった血は他には交わらない。たかがゲームかもしれないけど実感した気がするのです。

もののけ姫のしし神様のワンシーンじゃないけど、ししがみさまは歩くと付近の草木を枯らしてしまうけど、人間も同じような物で、同じ環境に留まると周囲に悪影響を多からず少なからず与えてしまうのかもしれませんよね?ずっとそこにいるからいい面もあるけど、それには「適度」って言葉が必要で変化(前向きに進化といった方がいいのかもしれないけど・・・)しないといつまでたっても変わらない自分がそこにいるような気がしてならないのです。

なんだかまとまりのない文章になってしまったけど、何かのタイミングに自分や周囲に風を起したりして空気を入れ替える手段として「引退」とか「卒業」とか「転勤」とか大きなイベントがあるのかもしれません。だからそのタイミングでいかに自分が新しい風を取り込めるか、逆に迎え入れる立場であれば新しい血とか人とかそういうのを求める必要があるんじゃないのかな〜って最近思います。

そういった意味ではパターン①の後進にその場所を譲るという意味で「おれ引退する!」って言える人はすばらしい人だなあって中田の記事じゃないけど言える人は本当に恵まれていると思うのです。自分はまだそんな場面には全然遭遇しないし、何かの先頭に立って誰かを引っ張っていったなんて事は微塵もないけど、人としての卒業とか引退までに、自分がやれることをやっておくべきだなあと思ったのでした。


ん?だからなんだって・・・

それが見つからないから人は考えるものです・・・・

うへ〜 見直しても最低な文章だな・・・ 2点/100点