列車事故の報道を見て、マスゴミは嫌いだ・・・

yoshi-blog2005-05-03

今日も結果的に家に引きこもってしまったYoshiです。こんばんは。一人暮らし生活はものすごく時間の感覚が狂います。何をやるわけでもなく、テレビを見たり、ネットで調べも伸したり、居眠りして、ゲームして、ああ、ご飯は何か食べなきゃ・・・そんな繰り返しをしていると病気になりそうな予感がしてきます。テレビのチャンネルをザッピングして見ていたんですけど、今はニュースもワイドショーも電車事故一色で、なんていうかね。いつもこういう事件や事故が起きる度に、マスゴミのいやらしい部分というか、視聴率ありきの報道姿勢には嫌気が出てくるのは自分だけなんでしょうか?

今回事故が起こりました。いたたまれない気持ちになって、亡くなった人のご冥福を祈らずにはいられません。僕自身も電車で通勤している身、なんどか電車の中で急ブレーキを踏まれた経験から、立っているときはできるだけ進行方向に対して背中を向ける感じで扉の横に立つようにしているけど朝のラッシュ時には何の役にも立ちません。ましてや側面衝突なんて誰も想像しないし、防ぎようもない。ただ、自分の天命に任せるしかないのだけど、他人事と割り切って見るわけにはいかないのでニュースに食い入るようにして見てしまう。そんな視聴者心理が「より視聴率を取るには生の声、現場の雰囲気を」っという感じでもあるのでしょうか?どこのチャンネルを見ても、救出活動をした会社は・・・とか、亡くなった人はこうだったとか、お涙頂戴というかドラマ仕立てにして人々の感動を誘うような報道姿勢はとっても嫌な気分になる。こういう時は事実を淡々と伝え、被害にあわれた方はそっとしておいてあげてほしい・・・僕らはショーを見ているわけじゃないんだ。だから、そんな外延情報は必要ないし、近所の会社の人だって別に取材されたいわけじゃなくて、必死になった思いが形になっただけであって、毎回いろんな取材局の取材攻勢にさらされてとっても気の毒だと思う。そういう取材を元にこんな感じでニュースドラマが組み立てられていくわけです。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050504k0000m040091000c.html

尼崎脱線事故
夫婦の愛引き裂く 夫の声、もう二度と
 兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故は、仲のよかった夫婦を引き裂いた。あちこちを旅行していつも寄り添っていた夫、社交ダンスのパートナーだった夫……。いつものように出勤する夫を見送った妻たちが「ただいま」の声を聞くことは、もう二度とない。

これはWebの活字媒体だけど、テレビの場合は、この内容を元に取材して現場からの生中継、インタビュー、たしかに臨場感ある。今日のフジテレビなんて現場に到着したテレビクルーの現場の様子を放映していたけど、お前たちはその場で何もせず、カメラをまわしていただけなのか?と言ってみたい。別にそんな被災されている瞬間の映像なんていらない。少なくとも、こういう報道は淡々と事実のみだけどを報道し、無用なドラマ仕立てなんていらないと思うのは僕だけなんだろうか?世間一般は、今日○○さんが出勤時に・・・なんて話を聞いても「かわいそうに・・・」としか思わないのなら、そっとしておいて上げるべきだと思う。

また、腹が立つのがスタジオに戻ってきてゲストコメンテーターとかキャスターが自分の意見を述べるのも嫌になる。ワイドショーならまだ百歩譲っても、ニュース番組でキャスターが自分の意見を言うのは番組、しいてはニュース自体が事実じゃなくて、キャスターの主観を通した思いに変わってしまうと思うのです。筑紫哲也の他事総論なんて、おっさんのぼやき以外の何者でもないし、報道ステーションなんて最悪。まともに見れるのはワールドビジネスサテライトと今日の出来事くらい。フジの夜の報道は滝川クリステルの幸薄そうな顔が心配になっちゃうくらいだ。(笑)

そもそも、ニュース自体なんのオリジナリティがない。Aという番組で放送したドラマはBという他局の番組でも放映するし、スポーツ新聞とか有名新聞は記事の内容までそっくり。オリジナリティがなくて、ただ、記事提供側から出される情報を鵜呑みにして大本営発表みたいな報道はもういらない。自分がテレビ離れしている理由はそこのあるのかもしれない。だって、そんなゴシップネタとか、ネットで流し読みすれば必要な情報。気になった情報だけ見れるし、これがテレビだと番組を最初から最後まで見なきゃならないし、お得意のCM前の引っ張りとか、CM明けの振り返りみたいな無駄な時間はないし、新聞媒体のような月単位で契約しなきゃいけないと、いらん情報までついてくる。そんなもの不要なんです。

今回の列車事故について、理由は複雑な要因が絡み合って事故につながったけど、マスゴミのストーリをまとめるとこんな感じじゃないでしょうか?

・事故原因は速度超過だけど、そうなった理由は会社の社員教育がストレスになったせい

・被害を拡大させたのは過密ダイヤ、列車の構造問題

・利益追従で安全面に配慮がかけた

まあ、僕の主観なので、正確な内容じゃないけど、番組見ててつまり「JR西日本が悪」というイメージを植えつける内容になっていませんか?別に僕はJR西日本を擁護するつもりはさらさらないけど、マスゴミは誰かを悪と決め付けないとダメなんでしょうか?正義のペンを振りかざしている気になっているけど、本当はそういう現場での取材攻勢、態度が再三問題視されているのに、今回も同じようにやってるんでしょうね・・・たしかに番組だけみると、失敗した社員の日勤教育と呼ばれる物はなんか嫌がらせ以外の何者でもないけど、それだけじゃないと思うのです。今回事故を起こした運転手は結構若い。つまり熟練者不足だって事なんじゃないんでしょうかね?この辺はも少しすればさまざまな情報が出てくるとは思うのですが・・・

これは別にこのJR西日本だけじゃなくて、社会全体がいわゆる団塊世代に支えられて生きてきたから、この人達がリタイアし始めて急激に人不足になって、会社は合理化省力化を目指そうとします。そうすると今まで脈々と受け継がれてきたものが一気になくなってしまって、今の若い世代が困ってしまい負担が多くなる。そんな状況って結構多いんじゃないんでしょうか?僕の働く職場も同じです。この業界は昔から脈々と受け継がれてきた技術という物があって、ちょっと前までは先輩が後輩について、一から手取り足取り教えていく技術という物があったんです。だから先輩は後輩に気を使い、後輩は先輩を尊敬し、仕事の回し方を肌で感じ取り、一子相伝のような技術の継承がスムーズに続いてきてたのです。けれども昨今の合理化で会社は人員をスリム化すると、職場に先輩と呼ばれる人がすくなくなってきました。そして、僕らの代はインターネット全盛期。別に先輩もそこまで技術を持ってるわけじゃないので若い人が自分で覚えていく時代になって、先輩を必要としなくてもマニュアルさえあればなんとでもなってしまう。そんな状況になっているけど、ちょっと古いシステムなんて出てくるともう僕らはお手上げ。そんな時はマニュアルとかじゃなくて、その人の頭に入ってる情報が必要になるけど、近くにそんな人がいない・・・・こんな状況もポツポツとでてきているのです。

今回のいたたまれない事故について、ニュースを良く見ててください。そのうちマスゴミ引責辞任させるまで、誰が悪いという犯人探しをします。そして、平行してさまざまな人の様子をドラマ風に紹介してきます。そして

「この事故が起きなければ、彼らに明るい未来が・・・」

というナレーションが入るはずです。テレビならなんでもしてもいいのか・・・血のついた時計、鞄、血だらけの人。視聴率が取れればそんな事見せてもいいのか・・・当事者は気が動転してパニックになってその辺の判断がつかないかもしれないけど、こういう時ほど日本人の昔から持っていた感情「見守る」という気持ちが大切じゃないのかな?人の不幸を取り上げて記事にするのは必要だろうか?亡くなった人が多くて、凄惨な事故だったからこそ、ご冥福をお祈りするとともに、そっとしておいて上げることはできないのだろうか・・・

自分に何ができるか?できる事があるなら行動し、できる事がないなら、静かに見守る。それだけでいいのではないだろうか?毎日映し出されるショッキングな映像はもう見たくない。と思っているのは僕だけなんだろうか・・・

人はいずれ時が止まる生き物。自分の意に反して時が止まるとしても、それはその人の運命なんだろうか?たまたま、僕はそこにいなかった。でも、昔、地下鉄サリン事件の前日の同じ時間くらいに地下鉄乗っていた僕がいた。あと1日ずれていたら僕はここにいなかったかもしれない。それをフラッシュバックで思い出してしまったような気がします。