願うとかなう事・・・

yoshi-blog2004-05-17

人は手に入らない物だから手に入れようと望み、願うのだろうか?願うからいずれかなうはず・・・と思い先へと進むのか、そして願いはいつしか想いになり、自分の心を響かせるのだろうか?そう考えてはため息をまた一つつくYoshiです。アニョハセヨ( ̄− ̄) 人間はいつも「無いものねだり」をしてるんじゃないのでしょうか?すぐ手に入れられる物にはなんの喜びも苦労もなくて、一杯悩んだり苦労したからこそそこには喜びと言う物が手に入れられるんじゃないのかな?そんな風に考えるのです。

今日も頭の痛みは引きません。と言っても昨日のようなうなだれる苦痛も刺激も幾分落ち着いてきたのか、自分の感覚が麻痺してきたのか?なにはともあれ我慢できるレベルになったと言うだけです。きっと痛みに慣れてきたのかもしれません・・・誰かが言っていたけど「頭が痛くなるって事は体が自分に対してアラームを発しているんだ」という事も言われたけど、まあ痛みに対しては抵抗力がつくんだな・・・って思った。意外とこういう肉体的な痛みなんて実は全然で、本当に痛いのは精神的な事だったり、相手のある事だったり、前も書いたけど「後悔するタイプ」は言ってしまった後にいつまでもズルズルと引きづるタイプだったりするのです・・・でもこの内面的な痛みも実はいずれ麻痺してくるもので、前は「あんな事いわなきゃよかったな・・・」なんて思う事もでも自分の意識しない間に言ってしまったりして逆に「人を傷つける痛み」も麻痺してくるんじゃないのかな?って思うのです。それが分からなくなった時はある意味末期的な症状でなんらかの処置が必要だと思うのです。

僕も大抵の事は一応並みの大人なので、肉体的も精神的にも我慢出るし、我慢もします。でもどうしても我慢できない事が一つだけあって、その事だけは「触れてほしくない」と思う事もあるのです。それを言われるとどうしようもないせつなさと、どこにぶつけていいか分からない虚脱感に襲われそうになるのです。

人間、無いものほどねだると最初に書きました。その為に一生懸命努力しています。本当に涙がでるくらい苦しんでいる人もいるのです。でも相手は何気ない言葉だったり、何気ない気持ちなのがよく、よくわかっているので僕は何も言えません。でも出来ることなら「聞きたくない」愚問なのです。そんな事をまた今日も言われました。

笑って済ませる日もあるけど、今日は笑えなかった・・・でもいつまでも願い続けるのです。夜に左手でわっかを作って月を見ると、手に届きそうな距離にあるような気がする・・・そんな風に思い続けたらいつしか僕の願いはかなうのでしょうか・・・