魂が宿るものは・・・

yoshi-blog2004-03-10

どんな偉い政治家や学校の先生よりも説得力のある言葉はお坊さんのお経をあげた後の短い説法だと思うのです。この前「徳」という話を書きましたが、「サダメ」と言うのもあって人間生きて生まれた瞬間からその人のさだめ(漢字が・・・略)に沿って生きていく物であって生まれた瞬間からサッカー選手になったりするわけではないというのです。このお坊さんもお寺の息子として一人っ子としてこの世に生まれてきたけど大学は普通の大学に通ってたけど父親の体の調子が悪くてお寺を引き継ぐためにお寺系の大学に入りなおしその道の修行をして住職となったみたいなのです。

同じお坊さんから聞いた説法でもある人は「徳を積めば状況を改善できる」と言い、ある人は「さだめからは逃れられることはない」と言うのです。Atoいう事象に対してポジティブでいられるかネガティブでいられるかって事もこの辺のベースとなる考え方がどちら向きなのかでかなり変わるんだな〜って思われてしまうのです。

言葉には魂が宿り「言霊」という表現もあるけど言葉に魂が宿ってなければ人の心を揺り動かす事はできないんじゃないのかな?って思うのです。これは仕事でも思うのですがビジネストークでこの「魂」が入ってるか入ってないかっていうのは会話を聞いていると意外と分っちゃうものなのです。例えば時計の営業マンだとしたら、新商品を知ってるAさんとまだ実物は見たこと無いけどマニュアルを見て営業しているBさんではトークの中身が変わってきます。Aさんは自分の体験談や使った結果を実体験として話を膨らませることができるけどBさんはマニュアル譲りなので他人の体験談をマニュアル通りに語るだけなのです。ここには説得力とかそういうのは存在しません。心に響かなければ「あっつ買おうかな(・∀・)スンスンスーン♪」とは思わないのです。

最近携帯のメールとかで相手に簡単にやり取りできるけどそれって「心」は伝わらないと思うのです。文章に「こんにちは(⌒∇⌒)」と書いても本人は本当に笑ってるか確認すべき手段はないですよね?でも逆になんでも見えてしまうのもこれもまた不便なのです。今テレビ電話機能を持ってる携帯なんてあるけどあれが普及するまでまだ時間がかかる気がするのです。

~~┗─y( ̄◇ ̄[]ゝモシモーシ

ヾ(´▽`*)ゝあーい♪

ナニシテルの?Σ(・∀・*;)

うん、寝てた〜ジュルルル ( ̄q ̄)zzz

こんな会話あった場合でも声で「あっ眠そうな声出しているな〜」ってなんとなく分るけどこれテレビ電話だったらボッサボサの髪の毛でメイクをとった皿 ((m(|||Д゜)彡 サダコジャァー!!って感じで画面に出てきたら100年の恋もアッサリ終わると思いませんか?笑 そうなると背景用のパネルが売れたり観光地で見かける顔だけくりぬいてある簡易セットが売れたりするんじゃないのかな〜ってBOSSのCM見てて思ったのです。

だからこんだけメールとか流行ってるけど最後は声なんだなって思うのです。お客とやり取りしてると結構キツメの文章だなあって思ってもあってみると意外とそうでなかったり、メールで愛想良くても会うとそうじゃなかったり、その辺の加減を判断するのって結局「会って確かめる」って事なんですよね・・・メールって言葉を補完するいい道具だけど、代わりにはならないんじゃないのかな〜って改めて考えさせられました。

言葉とは文章と抑揚の塊である・・・そんな気がしました。