1年が過ぎた寒い曇り空の日・・・

yoshi-blog2008-01-13

おことわり

本日の内容はYoshi個人的な内容でかつ場合によっては、見た方を不愉快な気持ちにさせてしまう内容が含まれているため、気分を害したくない人はこの時点でブラウザを閉じると共に、お詫びさせていただきます。









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あれから1年が過ぎました。

http://d.hatena.ne.jp/yoshi-blog/20070120

早いものです。思い返してみれば、あの日もこんな寒さで雪が降ってました。もう1年。なんか嘘のようで・・・冗談で、そんな出来事はなかったんだ・・・そう思いたい自分もいました。人は、すごく優れている機能を有していて、どんなに悲しい事があっても、どんなに苦しい出来事があっても「忘れる」という機能を有していること。悲しいですか?とっても悲しいです。でも、1年前の悲しさと、今の悲しさが同じですか?という問いがあったとしたらほとんどの人はNoと答えるでしょう。悲しいという気分よりも、どこか自分の中で折り合いをつけてしまった自分がいることに気がついた自分が悲しい。そんな一周忌の寒い日でした。

嫁さんは身重でもあり、お寺やお墓に連れて行くほど元気でもないので予定をキャンセル。はるくんを連れて行っても良かったんだけど、口と行動が伴わない嫁さん。

「俺、はるくん連れて行くからたまにはゆっくりしたら?」

「うん。大丈夫だよ。面倒見ているから気にしないで・・・」

本当は分かってるの。一人がいい、楽したい、ゆっくりしたいと言っててもいざ一人になると何をしていいのかきっと分からないし、一人で家にいるのが嫌なんだろうな〜って。そんな気持ちも分かっていたので一人車を走らせてお寺へ向かった。

外は吐く息が白く、空も低い。かじかむ手に吐く息をかけながら見上げた空は去年と同じでした。

「もう1年たっちゃったんだ・・・はやいなあ・・・」

ちょうどお寺に入ると自分は最後の方で親戚はそろっていた。口々に言われる「はるとは今日連れてこなかったの?」という問いかけ。

「あー連れて行こうと思ったんだけどね、嫁さんから離れたくないんだってさ」

と適当にごまかす。でも、話題は決まってはるくんの事と、次の子。

「いつ生まれるの?性別は?」

別に隠すつもりもないけど、いつ生まれるかなんて分からないのよね・・・ほんとさ。最近この質問が感に触る事あって、そりゃね、素朴な疑問だろうけど、早産の可能性があるので、本当に分からないのよ。悪気はないのは分かってるので何も言わないけど、自分の母親は次女の子がうれしいらしいので、親戚中に言いふらしているけどまだ、リスクもあるし、こっちは喜び気分でいられないのに・・・と思いつつも、若干ムカついていたけど、今日は法事、仕方あるまいとイライラと、この微妙な空気と、やるせない時の刻み方にただ、せつなくなる。

定刻どおり。住職のお経が始まり、しばし音の響きを確かめながらずっと考えてました。

死ぬって事はどうなんろう?と。自分はなぜこの世に生を受けているのだろうと。生きるって事はスタートはみんな一緒じゃないけど、死ぬって事はすべての人に訪れるイベント。その先に何があるんだろう?僕も今こうして生きて、結婚して、子供も出来て、そして二人目。大きな大樹の流れの中の一人だとしたら自分の血を後世に受け継ぐ単なる器でしかないのかもしれないけど、生きる→死ぬ→? の先のサイクルってなんだろうなあ?と思いませんか?生きているって事にどんな意味があってその結果がどのような物かはやっぱり死ぬ瞬間じゃなきゃ分からないのかな〜って思った。

あんなに悲しかったのに、あんなに寂しかったのに、今この気持ち。どこか心の中を勝手に整理したような、誰かに部屋を勝手に掃除された時のような感覚。自分の中では折り合いをつけた気なんてこれっぽっちもなかったのに、時間という時薬がしっかり整理してしまったのかな?ただ、ただ、このお経のフレーズの感じ方も1年前とは全然違うな〜と思いながら聞いていた。蝋燭の炎の揺らめきがどこか神秘的な気がしたけど、1年という期間はカラフルな思い出が少しセピア色になってしまったなあって思えた。

お焼香して、両手を合わせて一言だけ

「安らかにお眠りください。そして、どうか私たち家族を見守っていてください」

あなたが喜んでくれた私の子も今年で3歳になります。もうあなたのくれた洋服は着れなくなってしまいました。でも、次の子にもいつか着せれたらいいな〜って思います。時計の針は止まってしまったようだけど、心の引き出しにはそっとしまってあります。どうか、安らかにお眠りください。そんな気持ちでした。

その後、お寺での供養が終わった後、お墓までゆっくり歩く。寒かったけど、これでなんか一区切りついたのかな?日々毎日の生活に追われちゃって正直毎日悲しいという気持ちにはなれなかったけど、お墓って言うのはそこに魂がいなくても、その人と僕らをつなぎとめておくモニュメントなんだよね・・・そこにお墓があるから、その人たちを思い出せる。だから僕らはその人たちに感謝をして、見守ってくださいと思いはせる事が事が出来るんだなあと大人になってから分かりました。寒くて寒くて、お線香を持つ手も震えちゃったけど、親戚のおじさんが

「寒いよな〜こんな寒い日にお水をかけられちゃっても困るよな〜」

と言っていたけど、みんなきてくれたと思えばきっとニッコリ笑っているに違いないよね・・・

一通りの儀式が終わった後、親戚一同が某ホテルに移動し、一周忌のお食事会と言う事でフランス料理のフルコースでした。まあ、こういう堅苦しい食事は苦手なんだけど車だったしアルコールなしだったけど、変な中途半端な時間に食べたのであんまり気乗りしなかったな・・・でも、きっとはるくん連れてきたらこのおごそかな雰囲気をぶち壊して「食べたい!食べたい!ちょーだい!」という叫び声がホテルに響いていた事でしょうに・・・苦笑

久しぶりに親戚にも会ったので会食しながら雑談。料理はそれなりだったけど、途中思い出したのか母親が泣きながら食べてるし、父親は酒のみまくっているし、もう意味分からなかったけど自分はおかまいなしに淡々とフルコースを食べてました。食べた後は親戚の質問ぜめ。もっぱら嫁さん来ないのはなぜ?から始まり。お決まりのコースでした。そんな会食も終わり両親を実家に送って家に帰ってきたのが夕方でした。

玄関に着いた途端はるくんが飛びついてきたけど、その後はずっとはるくんと遊んでました。やっぱりはるくんと遊んでいると楽しいよね。^^

そんなわけで、心の区切りと儀式を兼ねた○○ちゃんの一周忌も無事終わりました。あっという間の1年でした。去年の僕は仕事でもプライベートでもまあまあ良い年だったのかなあ?と振り返っているけど、人と人との出会いを大切にする事を教えてくれたおかげで今の僕があると言っても過言ではない。そんな人生の大先輩の教えを請う事はもう出来ないけど、胸の中にそっとしまっておいて大事にしておきたいと思います。今、悲しいのか?って聞かれたら悲しくない・・・でも、寂しいのには変わりはない。でも、自分が生きているって事は誰か分からないけど他の人に影響を与えたり、他の人に役に立つ自分でありたい。そう心にこれから誓いつつがんばってみようと思います。

本当に今までありがとう。そして、これからも僕たちを見守ってください。