待ち焦がれる木曜日・・・

yoshi-blog2007-10-25

バカね。自分が主張できるわけでもないのに・・・そんなつもりじゃないのに・・・そこにあるだけでいいのに、これ以上何を・・・分かってるじゃない。今が、今の、このままが一番いい事だって、それ以上は・・・バカね・・・ホント、バカだ。コインのように表と裏が一体な気持ちは表の気持ちを出してしまうと裏の気持ちまで吐き出してしまう。だから、こそ、人に何か伝える事は表の気持ちを出すと言う勇気は必要だけど行動が伴わないで、結局、それは高値の花なんだと、一瞬の迷いの中さまよい続けているYoshiです。こんばんは(T_T)




待ち焦がれるという言葉の意味に考えてみました。



待つ事で焦げてしまうような想い・・・



だから待ち焦がれる。待ち焦がれてしまうんだ。と想いました。



そこまで、想うほど待つことありますか?



今、たった一つだけ、待ち焦がれている事があります。



待ちすぎてこげている自分がいます。でも、待つという事は好きなんです。



待ち合わせの時、待つほうですか?待たせるほうですか?



自分は、待たせるくらいなら、待つほうが全然好きです。



なぜなら、待つのは「まだかな〜」と淡い期待を持てるけど、



待たせるのは「大丈夫かな?〜」と不安とか心配とかこれから楽しい事がある前に楽しくない出来事になってしまうのが怖いのです。



でも、今待っているのはそういう時間的なものじゃなくて、私にとって、大事な大事な大事な事に待ち焦がれています。



誰もが待てるものじゃないし、待ったからといって何かが変わるわけでもないけど、



けど、待って、焦がれるものがそこにあります。



もしかしたら、待ったかいがあるかもしれないし、もしかしたら、待ったけど、また、継続して待ち続ける事になるかもしれません。



だからといって悲しくなる事もないし、寂しくなる事もないし、ただ、少しだけ元気になれる要素があるかもしれません。



本音は、ちょっと諦めてます・・・嬉しいという表現をするには自分の心の中で素直にならないと心底嬉しいっていう表現をするのって難しいと想うのです。



そんな、想いをめぐりめぐらせてしまっているので、焦げそうです。だから今、【待ち焦がれる】という言葉の響きに、重さに意味を感じてます。



「嬉しい」の対義語は「悲しい」ではなくて「怖い」である事に気がついたけど、私は私のままで、ありのままで、静かにその時を迎えたいと思います。