あの日から4年が過ぎました・・・本来であれば自分も死んでいたはずだった出来事から4年が経過しました。もう4年、まだ4年・・・
今でも、あの日の出来事とあの時の記憶はずっと、ずっと覚えている。
未だに僕の通っていた会社さんは立ち入る事は出来ていません。
僕が使っていた駅は未だに復旧の目処は立ってません。
あれから時間が止まっている場所。そんな場所と思い出に対して心の中で語りかける・・・
そんな静かな日でした。
今日は朝からテレビをつけれません。自分の心で静かに祈りを手向けてはいるけれど、誰かの悲しい気持に触れるほど自分もまだ心の整理がついてないというべきか、うまく表現できないけど、ただ、ただ、静かに祈る事しか出来ないなあと。
毎年この時期になると、考えます。
本当は自分はこの世にいない可能性が非常に高かった。
それを人は「虫の知らせ」と言うのだけど、なぜ、その時のタイミングじゃなかったんだろう?って・・・
生きている事が生かされていると考えた時、今ここにいる理由ってなんだろうねえ?ってかっこつけて考えてみても全然答えは出てこない。
未だに多くの人が日常生活に戻れず大変な思いをしています。
目に見える景色は大きく変わってきているけど、心の景色と同じ景色を見るには、まだまだ時間がかかるような気がします。
数年経過して、その時仕事していた別の会社の人とふと、当時の会話になることもあります。
「Yoshiさんあの時は大変申し訳ありませんでした。あの時Yoshiさんの依頼を受けておけばもっと良い対応が出来たと思うんですが・・・」
「いやいや、いいんです。あの時僕も暴言吐いて大変申し訳ありませんでした。これも含めいい経験をさせてもらいました」
そんな話を先日した時、ふと当時の仕事を思い出したけど、今でも後悔しているし、今でもものすごく悔やんでいる。自分の浅はかな対応が原因で結果的に多くの人に本来では必要のない被爆線量をかける羽目になってしまった・・・今の気持はこれからも変わることなく僕は一生後悔し続けるだろう。
もし、あの時自分が計画したもののバックアッププランを予定通り組み込んでおけばあんな危険を犯さなくても良かったのに・・・
その後始末をするための作業や段取りをする際に、この会話をした人とは、電話で怒鳴りあってたんだよね・・・
当時必死だったな。自分。
限られた時間、自分の出来る事、出来ない事。多分あそこまでプレッシャーがかかってやった仕事は、もうこの先ないだろうな・・・
そう考えると、僕はとっても幸せなものです。
こうやって生かされて、今ここに生きている・・・だからこそ、出来る事を出来る範囲で無理なく何かこれからも自分の形で協力できたらいいなあと思います。
今日と言う日は忘れません。
今も、これからも自分なりに自分の出来る範囲で今後も出来る事をしたいなあと思います。
最後に、今日、とっても素敵な呟きを発見したので、皆さんに共有したいと思います。
もし忘れさられるのではと寂しさを感じている人がいたら
声を掛けさせて欲しい。
頼りにならないかもしれないけど。
背中を押させてください。
この日を必ず忘れないから
安心してください。
みんなが一つになったこの日を。
みんなの声が東北に届くように。
空の上にも届きますように。
— ふなっしー (@funassyi) 2015, 3月 11
https://twitter.com/funassyi/status/575533689783894016
僕はこれを見て少し泣きそうになりました。
彼が人気者でいられるのは、こういう事を当たり前につぶやけるからこそ、愛されているのかもしれませんね・・・
今日と言う日に悲しい思いをした多くの方が少しでも心安らかに、そして穏やかに過ごせますように・・・
そして、今日と言う日に僕を生かしてくれた事に感謝して、これからの人生も大切に過ごしたい。