貴重な経験をしたお葬式・・・

形はどうであれ、お葬式と言うのは悲しみもさることながら年を重ねていくと何かと経験値が増えてしまうような気がしている中で、人はいつかはいなくなってしまうもの。それを気がつくきっかけを与えて頂いた上で、それでも自分はやっぱり悔いのない生き方をすべきじゃないのかな?と思ったYoshiです。こんばんは(ーー;)

今日は会社を休んで嫁さんの父方の祖母の告別式に参列してきました。
ちょっと家から遠くて朝早く3時間くらい車を走らせていた事もあって行き帰りの運転でちょっとグロッキーではあるけれど、なんか、あまりにも自分の中で淡々としすぎている自分に気がついて、悲しみと言うのは結局その人ととの思い出とか時間を積み重ねた量で決まるものなんだよなあとしみじみ思った。

と、言うのもYoshiさん、嫁さんの祖母と会ったのは1回で結婚式に参列して頂いただけで以降は遠い所に住んでいるという事もあったり、うちのあいちゃんもはるくんも曾孫だし、わざわざ顔を見せに行く感じでもなかったので年賀状は毎年送っていたけど会話はほぼない人だけど嫁さんは小さい時からお世話になっていたらしいからね。だからYoshiさん個人的には本当に自分の心をどこに置いていいのか分からない感じだった。

家族葬的な感じだったといえば、だったんだけど、これまた今までの人生経験の中で体験した事のない宗派のお葬式だったので超戸惑ったし、びっくりした。ま、知っている人は知っているんだろうけどさ、いやはや宗派の違いと言うのは本当に色々あるなあと・・・

大前提でちょっと書いておくけど、全然否定的に書いているじゃなくて本当にびっくりしたの。宗教なんて所詮色々な考えの上で成り立っている儀式であるから、その行為自体は大切なものなんだろうなあと思っているから決してダメだとかそんなのは全然なくて、へえー色々お作法ってあるのね。って感じたわけ。昔、弓道の師匠がキリスト教徒で、キリスト教式のお葬式も度肝も抜かれたけど、それと同じレベルだった・・・

まず、席順。普通、父方、母方とかで親戚が左右に分かれると思うんだけど、男女で分かれるの。男子は右、女子は左・・・同じ家族で分かれるっていうのにとっても違和感を覚えつつ着席。

「ねえねえ。パパ、なんで、はるくんと、パパはこっちでママとあいちゃんは、あっちなの?」
「ん〜ヨクワカンネ。誰か偉い人が決めたんじゃないの?」

と、息子とコソコソ話。しかも完全アウエイなので男子で知っているのは嫁さんのお父さんくらい。でも、喪主に近い所にいるので一番後ろの一番端っこの席に座ってみる。

そして式が始まる。一番ビックリしたのが、お坊さんがいない。お坊さん的な人はいるけど、当然お坊さんじゃないから袈裟を着てないからお坊さん的な人はスーツでお経を読むんですね。まず、そこでビックリ。え?スーツでいいの??みたいな・・・しかも、普通お坊さんって一人でやるでしょ?まあ大きなお寺だと弟子がたまにいるのはあるけれど、このスーツのお坊さん的な人にもサブの人がもう一人いてスーツの方が2人でお経を読み上げているの不思議。

そして、着席して

「それでは、ご唱和お願いします」

って言われたけど、私、ご唱和のワードはさっぱり知らない。でも、周りはしっかりお経を口ずさんでいるのでホールはお経の大合唱がこだましている。そんな時は、とりあえず目をつぶって手を合わせ、静かに下を向いて時をやりすごす。嫁さんに聞いたら嫁さんも良く分からなくて下向いていたっていうけどさ、もうちっと基礎情報くれよ・・・と、さすがに今日は思った。

お坊さん的な人がお経を読んでいると、参列者席の後ろの方でなにやらご友人かご近所の人かと思った人達がおもむろに大声でお坊さん的な人と同じお経を最後までずっと読み上げ続ける・・・あれ?参列者じゃないの??って思ったら、プロ?みたいな感じの人でビビッタ。キリスト教でいう所の賛美歌歌う人みたいな係??すげえ不思議な光景。

お焼香とかの作法は日蓮宗とかその辺と同じだったけど、終盤になりお坊さん的な人が軽くご挨拶をするでわけです。お坊さんでいう所のお経を読み上げた後にありがたいお話があるみたいなイメージですが、そこでお坊さん的な人は分厚い経典なのかなあ・・・普通はお坊さんのありがたい話はその人の経験談や修行で感じたこととか、さらさらとご説明するイメージだったんだけど、分厚い経典なのかなあ?そのマニュアルっぽいものを開いて、ただひたすらそれを読み上げているけど、なんか棒読みなんだけどいいのかしら?ってちょっと思ったけど、後で聞いたらそれは、正式なのがあのスタイルだっているのでそれも不思議だった。

で、なんかよく聞き取れなかったけど

「名誉〇〇になりました」

的な話があって、二階級特進的な感じの発表もあって、この団体さんでは爵位的なものがあるんだなあと・・・

そして、最後に司会の葬儀屋さんが

「それでは、最後に音楽で送りたいと思います」

って言って、フルコーラスの音楽がかかって葬儀も無事終了。音楽で最後送るっていうのもはじめての体験だった。

どうやらおばあさまは熱心な信者だったみたいですね。だから、この団体の形式で葬儀を執り行ったって言うのは本望だったんではないでしょうかね・・・

そして、棺おけにお花を入れる時間。
あいちゃんは、綺麗なお花だからって進んで入れていたけど、どうも自分は悲しいって感情も、当然涙も出ないけど親戚の皆様は涙ぐんでいる光景がどうも他人事のような、他人事ではないんだけど、でも感情移入が出来ないような感じがして、一番遠い所で遠巻きにその光景を眺めていたけど、ふと、最近なくなった母方の祖母の時はめちゃめちゃ悲しくて涙も出たけど、父方の祖父の時はそうでもなかったのを思い出して、

「ああ。悲しくない理由は自分の思い入れの差なんだろうな・・・」

と、悟ったけど、それでも誰がなくなっても何度見ても、何度体験しても、棺のしまる瞬間はいたたまれないね・・・あと、火葬場で棺おけが釜に入る瞬間と、出てきて遺骨を集めるのは何度やってもなれないし、出来る事なら体験したくないなあと思うけど、でも、そのたびに遺骨を骨壷に入れる火葬場の係の人の仕事の丁寧さ。骨のかけら、粉になっているのまでしっかり集めて入れるしぐさはプロの仕事だなあって思った。

なんだかんだで、ほぼ1日かかってしまったけど、貴重な体験をしたお葬式だった。
多分、なかなかこの宗派のお葬式を体験するのはないんじゃないのかなあ・・・

故人がどんな宗教に属しているかは参列するまで分からないけど、本当に世間は広い。

それにしても、疲れた。きっと気疲れもあるんだろうけどさ、嫁さんのお母さんが親戚に色々ご紹介いただいて挨拶したけど、

「遠い所かよく来ていただいたね」
「あら、お子さんかわいいね」

くらいしか言われてないし、こっちも、ちびまる子ちゃんの縦線が入っているような顔していたんだろうけどさ、全然顔見知りじゃない所っていうのは思いのほかダメージがあったので、帰り事故渋滞にハマって行きは3時間だけど帰り4時間以上かかって疲れた。

で、疲れた所に途中途中、仕事のくだらない調整をして電話しまくっていたり、明日は明後日と雅叙園で研修だし今週ハードだ。

今日はこんな感じ
ではでは。