好きと嫌いは表裏一体・・・

yoshi-blog2004-06-15

電気グルーヴサザエさんの曲のトランスVerを聞いてバスの中で(・∀・)ニヤニヤとしていたYoshiです。アニョハセヨ| _-)/イヨウ この曲アフォらしくて(;´Д`)スバラスィ ...ハァハァとりあえず聞いてみたい人は連絡を・・・っていうか誰かに聞かせたくて(o(> <)o)うずうずしているのです。なんか今年は厄年かな?頭痛いのにメドが着きそうになったら今度は風邪を引いて風邪が治りそうになったら今度は右耳が痛いです。

中耳炎ヽ(`Д´)ノウワァン

中学生以来なってない病気にかかりそうな予感がします。((;゜Д゜)ガクガクブルブル 、そんな火曜日。世の中色んな事があったけど自分はアタフタ ヘ( ̄□ ̄;)ノ ヽ(; ̄□ ̄)ヘ アタフタとしていた一日でした。くそ忙しいのにもう1個の仕事が取れてしまい、スケジュールの調整が難しくなってきました。そんなこんなでしたが、昨日の日記は反響が結構ありました。やっぱシモネタ系は食いつきが違うなあ・・・笑

と、言うわけで今日はマジメな話題から(マジメなのかな?キョロo(・ω・ = ・ω・)oキョロ)ある人の恋が終わったそうな・・・そんな事はどうでもいいとして(笑)、誰でも「好きになる」という気持ちと「嫌いになる」という気持ちは持ってると思います。それは異性であれ、同性であれ、ある人を見たら必ず「好き」or「嫌い」っていうのを感じていると思うのです。「どちらでもない」っていうのは実はなくて必ず多かれ少なかれどっちかの判断をしているわけでこの「どちらでもない」っていうのはその人に対する情報不足であったり自身の経験不足じゃないのかな?って思うのです。よく僕はこういう風に言います。

「人間第一印象は顔。それはマチガイナイ。けれども最後その人を判断するのは顔じゃなくて見えない部分」

と、慰めていたりするのです。嫌いなのって勝手な解釈だけど「生理的」と「対処的」って二つあるような気がしてなりません。生理的に受け付けないから「嫌い」っていうのはきっと本能的にその人を避けているわけですよね?という事は本能で「この人は止めたほうがいい」って思ってると思うんですよ。その判断って始めて会う人を判断するには外見的な情報しかないんじゃないのかな?って思うのです。

昔、付き合っていた女の人と似ている顔とか、

小さいときに怒られた先生に似てるとか、

アブラッコイ男の人にだまされた事があるとか、

きっと過去にそんな風貌の人とか雰囲気の人に対して情報があって、その経験から「こんな感じの人=昔嫌いだから今も嫌い」って脳みそが誤作動してるんじゃないのかな?って思うのです。

逆に対処的(勝手に考えてる言葉なので間違ってたらごめんちゃい)っていうのは直接その人に何かをされて

「こいつ(# ゜Д゜) ムカー゛(`ヘ´#) ムッキーー」

って思って嫌いになるんじゃないのかな?何かされた=直接的な事だから脳みそに記憶する=コイツ嫌い。そんなイメージが着いたりするのではないでしょうか?

第一印象は重要よ!昔そんな話を言われた事があります。自分の場合は第一印象は、

冷たい・暗い・何考えてるかわからん・怖い・オタクっぽい

とロクな印象がありません。嫁さんの第一印象もそれはもうひどいものでした。笑 そんな一度着いたイメージはなかなか直りません。その人と接点がなくなってしまうと未来永劫その人の脳みその中ではイメージが固まって過大解釈が始まってしまうんですよね・・・まあ仕事とか学校とか一緒にいる時間が長いと

「お前の事最初はやな奴だと思ってたよ」

なんて解釈の修正が入るわけですよ。そうすると嫌いだった人が好きな人になっていって

「お前いいやつだよな!(* ̄0 ̄*)ノ 」

みたいな感じになったりしませんか?そういうのってちょっとしたショック療法がきっかけでイメージが逆転したりするんじゃないのかな?って思うのです。

逆に好きになるっていうのはこれまたちゃんと理由があって、脳みその中でその人の事をちゃんとリスペクトできた時に「好き」になるんじゃないのでしょうか?ここで言う好きっていうのは時として「Like」であったり「Love」であったり好きのゲージの大きさとか異性なのか同性なのかでも変わってくるんでしょうかね?好きだから自分を見ていて欲しい、好きだから自分を思っていて欲しい、ほら小学生が好きな女の子を苛めてしまうのは典型的なやつで「嫌いだから苛める」のではなくて「好きだから苛めてるんですよ」これがエロの世界になるとやれMだのSだの騒ぐわけですけどこの辺はまた今度話しますけど、ようは人間基本的に好きになると独占欲がわくんじゃないのかな?って思うのです。だから相手の気を引いてみようとしたり、自分に気のある人に対してなんらかのアクションをして自分に対して絶えず関心を持たせようと本能的に動いているんじゃないのかな?って考えるのです。まあこの辺は僕も専門的に勉強したわけじゃないので

ハイ(-Д-)ウソ〜

という事になるかもしれないけどそれはご勘弁を・・・笑 この辺はサイコドクターとか見ると少し書いてありますよ。

で、結局何が言いたいかというと

「人間の本能として自分と似ている人間を選ぶ」

のではないのかな?って思うのです。とっかえひっかえ相手を変えたり特定の人を作らないと宣言している人は実は回りに向かって「自分が見えてません」って宣言しているのと一緒じゃないの?って思うのです。好きな人=自分と同じニオイを持つ人=だから安心、だから好き、みたいな感じです・・・惹かれあうっていうやつはそうじゃないのかな?って・・・まあ稀に「自分と違うものを持っている」っていう理由もあるのはYoshiとしては説明する術は持ち合わせてないんですけどね・・・苦笑

そういう意味で俗にいう「大人の恋」っていうのは特定の人を探す旅であってその過程の恋愛は「好き」も「嫌い」も実はその人を気にしている証拠だと考えちゃうのです。たまたま好きか嫌いなだけで、その後どうなるかなんて神様以外わかりっこないのです。だからそれは恋であって愛ではないんじゃない?って思いませんか?つまり好きとか嫌いと考えているうちはその人とは過程であって本当に好きになったらその人以外ありえないと思うんでしょうかね?

あっ自分? σ(`・・´ ) 大人の恋はしりません・・・笑