納棺の儀式・・・

人は生きていると死ぬのを忘れてしまうもの。だから人の葬式とかで自分の死にざまを改めて確認することがあるんだと悟ったYoshiです。こんばんは。

 

今日は祖母のお通夜でした。

自分の感情は色々あれど、とりあえず母親からはお通夜の受付手伝ってって言われていたので早めに会場についた。18時から始まりなのに15時半に来いと・・・なんで??って思ったけど、行ってみて分かった。その理由。

そう、納棺の儀式に立ち会わせたかったのだ・・・

 

たぶん、事前に言われていたらきっと来ない。だからだまって早く来いといったのだろう。でもだまってこれはねーよ・・・って思いつつ、まあ、今更だったのでなんの感情も芽生えなかったけど、立ち会ってきました。

 

ようは死に化粧をするんですけどね。これは、さすがプロだなあって素直に感心してしまったよ・・・だって、赤く痒みではれてしまった部分や、しみ、そばかす、など全部メイクで完璧にきれいになっていくんだもの。白髪もはえているけど頭皮も赤くなっている部分も完璧にして、最後髪の毛も白髪交じりをシルバーのスプレーできれいにして、なんていうか最後は口紅もいい感じでやってくれて、まさにこれが最後の化粧なんだと思うと感慨深いものがあった。なかなかこういう場面に立ち会うなんてできないからね・・・

 

化粧のあと、何を極楽浄土に持っていくか?着替え、気に入っていた洋服。杖は燃やせるもじゃないと入れられないとか、靴もゴム底は無理だとか、色々あるけど、三途の川を渡る渡し賃の六文銭は入れますか?って言われて

「お金ないとこっちに戻ってきたらかわいそうだから」

と母親が提案し、プリントされた六文銭が懐にそっと忍ばされた。通夜とか葬式だけ出ていると、その辺の出来事ってわからないのよね。そして、大事にしていた着物をかけられお棺に収められた。人間って最後はこうなると思うと、色々考えさせられた・・・

 

そんなお通夜。

もう祖母は98歳なので知り合いなんていないし、親戚だけの家族葬。だからこじんまりとお通夜は始まったけど、住職のお経をぼおっと聞いていたなあ・・・何考えていたのか忘れちゃったけど、なんか、このお通夜が他人のお通夜に出ている感覚になってしまって、なんの感情も芽生えない、こんなにあっさりとしたお通夜は初めてだった。

 

終わって精進落としを食べて親戚の会話して適度に終わったけど、明日はお葬式です。大人になるとこういう儀式が増えていくものなんだなあと思った。

 

今日はこんな感じ

ではでは