いい人でいられる人は幸せな人だと思うわけ・・・

誰でも人は他人に嫌われたくない、よい人でありたい。誰にも恨みを買わないで何事もなく生きていきたいと思う理想から現実は乖離があって、それが時間が積み重なるとその乖離の幅は大きくなるものだなあと思ったYoshiです。こんばんは(~_~;)

 

いつもより遅めの日記更新、理由は明日意味もなく午前中休暇にしたから・・・

だって休暇消化しなきゃいけないけど中途半端すぎて何も出来ないからゆっくりおきて、まったり支度して、だるだると会社行こうかなあと思って・・・

 

さて、今日の本題。タイトルの件。

化けの皮って簡単にはがれるよね。行動ってその人を体現していると思うのよね。いくら口でかっこいい事言ったり、何かうまく立ち振舞っていたとしてもその人の本質って日々何気ない行動に出てしまう事もあって、だから自分は気をつけようと思っているわけだけれども、それを知っているけど、言えない場面もたくさんあったり、立ち位置の関係で知らなくてもいい情報や内情を知ってしまうと、なんていうか、結局ドライな対応をしなければならない時もあって、「ああ、これって、結局自分の対応で、今何か風向きが変わったかなあ」って思う事もあるわけ。

 

最近、孤独の意味が見に染みる場面を多々体験する時があって、言いたくても言えない。知っていても知らないふりをしている場面が多くなると、どこかでいい人を演じるわけにもいかず、汚れているなあ自分って思うときもある。

 

なんでしょうね??人は気持ちで動くもの。自分も嫌いな人がいるように、自分の事を嫌いな人はたくさんいる。だからって嫌いだというのははばからなきゃいけないんだけど、それ前提で動く必要がある時って心を鬼にしてっ手言うほどでもないけど、なんかもうちょっとうまいやり方ないのかなって後悔する場面増えてきたなあ・・・

 

表と裏があって、裏は見せちゃいけないって思うと、その裏を知らない人に表の立ち振舞いで何か後ろ指さされるのは損しているなあと思う。でも、それが仕事だよって言われて見ると、昔の上司や先輩に言われた言葉や立ち振る舞いが、ああ、あの時って、この場面のことだったんだ・・・って考えちゃうよね。

 

心がどんどん汚れていく。

だから、どっかで内なる自分が健やかであるために、淡々と割り切る場面が増える。

今日もまた、ドライにバッサリ割り切った仕事があったけど、それが結果的にうまくいくための将来の種まきと思いたい。

 

仕事って、パワーゲームだと思っていたのが若い頃。

少しおっさんになって、パワーゲームをするためのパワーの使い方が大事だって分かった。

でも、そのパワーゲームって誰かの手のひらの上で転がされているだけだって知ったのが少し時間がたってから、

今は、その手のひらは誰の手のひらなんだっていうのが理解できた瞬間。

 

仕事って、なんでしょうね・・・

仕事って、何が大事なんでしょうね・・・

なんでも自分で出来ると思っていたけど、自分でやる事が正解じゃないって最近言われているけど、だからと言って人の気持は説得できないし、納得させるもの。

 

納得させるには日頃の信頼残高の積み重ねでしかないから、何気ない毎日は丁寧に生きていかないと積みあがらないなあって思った。

 

今日はこんな感じ

ではでは