老いるということは・・・

たまには真面目な話でも書きましょうかね・・・今日母親から連絡があり親戚のおじさんが亡くなったと連絡があった。小さい時よくお世話になって結婚式も着てくれたおじさんだったので、悲しいという気持ちよりも「ああ、亡くなってしまったのか・・・」というなんともいえない複雑な気持ちが芽生えたのはなぜだろう?

 

正直10年くらいあってないような気がする。いつ最後に会ったのかも覚えてない。定型な年賀状を送り続ける事がここ数年だったし写真が載っているわけでもなかったので近況はうかがい知れないけど、なんか悲しみはないけど、喪失感というか、虚無感というかやはり自分が大人になって行くという事は自分もおっさんになるわけで、年を重ねるという事は自分の親、親戚、それぞれ同じ様においていくことなんだなあって思った。

 

毎日逆に自分の子供の成長を見て、もう小学校卒業だとか、もう中学生かよ!とか思うという事はその分自分も老いているわけで、自分の経過は残酷だなあってしみじみ思った。人は確実に老いていく・・・この時の老い方ってとっても大事だなあって思う事が最近多々ある。多かれ少なかれ、誰かに迷惑をかけて生きているし、誰かにお世話になっている。独りよがりで生きていくのは難しくて、どうせ最後を迎えるなら悲しまれたり、寂しがられたり・・・泣かれて最後を迎えるのは幸せじゃないのかな?って思う事が多くなった。

 

人と人との関係性は積み重ねだけれども、積み重ならない関係性ほどさみしいものはない。だからこそ、周りを大切にして、自分の為だけではなく周りの人の為に生きていくことが大事だって大人になって思うようになった。

 

誰かを押しのけて何かを得たとしても、その得た瞬間は一瞬でしかないし、その瞬間失ったものは一生続いてしまう。そんな人間関係も垣間見てきた。

 

おじさんとは、そこまでの関係でもなかったし、もう10年以上会ってないので思いをめぐらせる事すら難しいけど、ただ、最後の瞬間の連絡を聞いて、なんて思うのか?

「ああ、悲しいなあ・・・」って思えるのか?

「ああ、そうなんだ・・・」ってなんとも思えないのか・・・

そこの差は、その人との関係性によるものしかないんだなあと。

 

少なくともおじさんには小さい時色々世話になった。母親の家系の初孫だったしね・・・残念な事にお通夜も、葬式も物理的に体が宮城にいるので父親と相談して香典を代理で包んで持って行ってもらうことにしたけど、最近こんなニュースが多く入ってくるようになった。

 

それだけ自分が年を食ったって事なんだろうなあ。

 

おじさん、本当にお世話になりました。

どうか安らかに・・・