生かされている事のありがたさ・・・

今日は、どんな人にとっても何か心の中で考える1日だったんではないでしょうか?
多分、今日という日は自分の中で、これまでも、これからも、自分がここに存在している事のありがたさと。自分ができることを胸に秘めつつ静かに過ごす1日になるのではないだろうか?ふと、一人になった瞬間色んな事を考えてみたYoshiです。こんばんは。

3.11
あれから2年が過ぎました。もう2年、まだ2年。人それぞれ感じ方が違うけれども、何か心のどこかで僕は自分が今もってここにいる意味というのを考えつつあります。今日は、そんな気持ちの整理をこめて書いている日記になるので、もしかしたら、もう忘れたい・・・思い出しくない。そんな人もいるでしょうから、そんな人はそっと今日の日記は読まずに閉じて頂けると幸いです。

2年前の今日。皆さんは何をしていましたか?

日記に何度も書いているけれども本当は僕は今ここに多分いなかったでしょう・・・でも、今こうしてここに生きている。理由は分からない・・・ただ、ただ、大きな何かに守られて、僕は生かされているんだ・・・そう思わずにはいられません。

当時。仕事で数ヶ月福島県の某所に出張で仕事をこなす生活をしていました。
毎週、前日の夜に福島に入り郡山のホテルで泊まり次の日現地のスタッフと合流し、今までは「何?その地名?」と言われていたけど、この大震災で地名を出すと「ああ、あそこね・・・」と逆に知名度が上がってしまった福島第一原発から直線距離にして5キロもしない場所のある会社さんの仕事でミーティングを重ねていたんです。半年以上かなあ・・・毎週1泊泊まる生活。当たり前のように泊まって朝スタッフの車でこの会社さんにお邪魔して、数時間ミーティングをして、帰りはスタッフの人に駅まで送ってもらい、いつものお土産やさんでいつものおみやげを買って帰る・・・そんな生活をしていました。

毎週出かけていたのに、なぜか3月11日の打ち合わせも本来であれば実施するはずだった・・・
だけど、なぜか自分が

「Yoshiさん今週の出張いつもの時間に出発して前泊でいいですか?」
「うーん。今週はやめとこか。別に1回くらい行かなくても大丈夫だろう?」

何気ない一言。何も考えてない一言。でも、なぜ、自分はこんな台詞をつぶやいたのか分からない・・・これが「虫のしらせ」と言うのならきっとそうなんだろうなあ・・・と思いました。

そして運命の3月11日。
僕は東京のオフィスにいた。激しい地震。激しい揺れ・・・震源は太平洋三陸沖。そして、そこから数日。いろんな出来事が判明してくなかで、自分が慣れ親しんだ土地。場所は地震津波、そのあとの原発事故で大変な出来事が起きたという事も数日後に分かった。

後から色々総合してみると、当時毎週のように打ち合わせをしていた会社さんのオフィスの天井が抜け会議室の天井は全部落ちたそうです。そして、いつも帰る時につかっていた駅は津波で流されていました。海沿いのよく通るルートは津波で道もろとも流されてました。そして、よく見る町並みにはもう人がなかなか入れないくらい放射線に汚染されて、多分僕は一生入れないでしょう・・・そんな状況でした。

それは後追いかもしれない・・・でも、そこにいたら何かしら自分の身に危険が迫っていたと考えたら、やっぱりなぜ僕はその日東京にいたんだろう・・・と考えないわけにもいかない。ただ、ただ、運命のいたずらというべきか、誰かに守ってもらえたのか・・・今僕はここにどうしているんだろう?そんな事を考えずにはいられない。

あれから2年。
時間は残酷だけと進んでいる。当時から世の中は色々大きく変わってしまった。それはいい意味でも悪い意味でも・・・当時僕にいろいろ仕事を与えてくれた会社の担当さんは当時必死にがんばると言っていたけど会社を辞めてしまったそうです。子供も小さくやっぱり不安だと・・・僕自身、当時はやっぱり被災地のお客さんを担当していたという状況もあって数ヶ月は色んな事も起きたし、色んな事も考えたし・・・結局自分が防護服を着て現地で作業をしたい・・・と志願したけれども、子供が小さくそんな仕事はさせられない・・・と、周りの配慮もあって思うような仕事の関わり方は出来なかったけど、それでも自分なりに、自分ができることを最大限努力して少しでも役に立ちたい・・・そう思ってがんばってたし、それは今も変わらない・・・

今も僕の仕事は当時の経験を活かせる仕事をしています。
たまに、人前でしゃべる機会があるときは、当時の出来事、思い出、何が大切だったのか?そんな事を話すこともあります。
僕の生きた経験は、みんな真剣に聞いてくれます。

今の仕事は、「だから何ができるのか?」を具体的に実現できる職場であるのはまちがいない・・・
今の僕があるのは、この出来事だといっても過言ではない。

そういう意味では「チャンスをくれてありがとう」と思う時もある・・・だから今の仕事をがんばることで間接的に震災で被災した人のための仕事ができると思うとがんばろうと思う気持ちにもなれるのはとっても感謝しています。

なんだろうね・・・うまくせつめいできないや。

2:46分。
会社では仕事を止めて、黙祷をする事になっていたので静かに黙祷をささげました。
目をつぶって短い時間で思いついた気持ちはやっぱり「がんばらないといけないな・・・」とつぶやいた自分がいた。

でも、それでも自分なりに思うところはある。今日はテレビのニュースをつける事は出来ないし、今も色々思い出すと、たまにふと涙が出てしまうこともある。でも、それは自分以上に実際に被災した人は、もっともっと辛く苦しい生活をしているんだよね・・・やっぱり自分は何が出来るんだろうか?と考えずにはいられない。

心の底から無宗教家ではあるけれども、きっと、どこかで誰かが

「お前はまだ死ぬのは早い。まだやるべきことが残っているじゃないのか?」

と、言っているような気がしてならない・・・でも、自分には何が出来るのだろう?自分はなぜここにいるんだろう?色々考えるけれども、これだ!って答えはやっぱり見つからないね・・・

もしかしたら偽善者的考えかもしれない・・・
だからと言って何もしないというのもさみしい。
でも、こんなちっぽけな自分が出来る事って言ったらたまに思い出し、町の募金箱にお金をつっこむくらいしか出来ないや

まだまだ復興したとは言いがたいし、生活基盤は元に戻ってない人もたくさんいる。ましてや、災害は現在進行形で、これからもっともっと原発の影響は出てくるでしょう。自分にできることはまず自分と自分の周りで何か出来る事を探して背伸びせず自分のペースでコツコツやるしかないのかな?無理しても長続きはしないし結局目の前のできることを精一杯がんばってやることでしか自分が生きている意味、生かされている事のありがたさを実感することしか今の自分には出来ないのかもしれません・・・

身の回りでは、3.11以降元々防災意識が高い自分ではあったけどより具体的により現実的に「リスク」というものに対して改めて真剣に取り組むようにしています。最近ではアンオフィシャルな場で自分のノウハウとかちょっとしたコツとかそういうのをみんなに教えるようになりました。

自分を含めて家族全員が無事でいられるには日々の心がけとちょっとした注意の積み重ねでしかなくて、それは普段から当たり前のように気をつけるしかない・・・これに尽きると思いました。

世の中色んな情報がありふれていて、世の中に出ている情報は必ずしも正解ではないことをこの震災で知りました。世の中の当たり前だと思われている情報も時として間違っているものがあるので結局自分なりに「正しい情報を探す能力」「情報を集めてフィルタリングする能力」これは日々の生活の中で身につける知恵と知識の積み重ねでしかないんだという事も知りました。

災害は、この先一生付き合っていかないといけないし、いつどこで何が起こるかは誰も完璧に予知や予言は出来ないけれど、リスクを少しでも減らせる事は出来るんですよね・・・そう思って考え直してみると、まだまだできることはあるような気がします。

3.11は人それぞれ思うこと感じることは異なると思うけど、僕はこの日が来るたびにこれからも生きているありがたみ。生かされている意味を自分に問いながら自分と自分の周りのために何か出来ることを背伸びせずコツコツやれるように見つめ直す日にしたいと思います。

僕は今日という日付を一生忘れません。
自分が生かされていると思うことをやめません。
毎日嫌なことばっかりだし、辛いこともたまにあるし、でも、反面うれしい事も楽しいことも一杯ある。

それは、今ここにいないと実感できない感情なんだと思えば、嫌なことも、苦手なことも、ほんの少しだけがんばれるよね?

だから、僕もがんばります。

 来年の今日は、今まだ辛い思いをしている人が少しでも良い方向に進めますように・・・

なんか、心の思いつくままで書いてしまったので支離滅裂な文章でごめんなさい。

ふと、なんとなくこの曲を聴きたくなってしまいました。
http://youtu.be/GMrRvoAR28I

今までも、これからも、この先も、自分にプライドもって生かされたことを活かしてがんばりたいと思います。