在りし日の天気もやっぱり雨でした・・・

yoshi-blog2005-06-22

出来る事なら激しいロックでも聞きながら高速を走ってみたいと思うYoshiです。こんばんは^^明日から嫁さんが地元の友達に会うので実家に数日帰るのですが、回収しに行く日はこれを聞いて車を走らせようと計画している今日この頃皆様はいかがお過ごしでしょうか?雨でジメジメしていると気持ちも曇りがちになりそうなのでせめて気持ちだけでもアップテンポでがんばらなきゃと思うんですけどね・・・大体数ヶ月に一回くらいの割合で気持ちが沈む時期があるのですがちょうどその時期に来たようです。何をしてもうまくいかない、考え込んでしまう、ふさぎこんでしまう、人と話をしたくない、できれば誰とも会いたくない、そんな波が来ているみたいです。

世間は時間が僕の気持ちとは関係なく進んでいるようで、お腹の子ももう今週で6ヶ月になろうとしています。時間って経つのは本当に早い、ちょっと前までは本当に子供の事で悩んでいたけど、子供が出来なければ出来ないで不安や心配はあるし、出来たら出来たでこれも不安になる。人間とは本当に自分勝手で都合の良い存在だなあと思うわけです。よく嫁さんと話すんだけど「ない物ねだり」って上を見たらきりがないし、下を見てもきりがない、でも前を見てなきゃいけないんだけど人間そんなにうまく生きているわけじゃないから後ろを見たり横を見たり、キョロキョロするけど、どこかできっと「前を向くしかない」って気がつく時がくるのかな?って思うわけです。よく昔学校の先生が「大事な第一歩だからがんばりなさい」って言っていたけど、何が大事かなんて全然わからんとです。先生の言葉って、どこか心に響かないと思いませんか?なんで響かないのかな?って思ったんだけど結局学習指導ってマニュアルがやっぱりあるんですよね。一度作ってしまった学習指導の資料は毎年同じような感じで教科書が変わらない限り毎年ある程度骨の部分は同じなんですよね。だから新鮮味も面白味も欠けて味気のない授業になってしまう事も多いんじゃないのでしょうか?生徒が飽きないようにやれ動画でコンテンツを見せるだの、プレゼンテーションがどうだのって工夫をしているかもしれないけど心に響かない言葉ほど味気が本当にないんですよね。

逆に味気のある言葉って、先生でも実際の体験談とかリアリティがあれば生徒も引き付けられるし魅力ある授業なのかな?って思うけどそんなリアリティのある話をしていた先生なんて指折り数える程度しかいなかったんですよね。ただ、教科書を読んで、ちょろっと説明して、問題解いて、はい次のページ、それの繰り返しで1年過ぎると思うと「この時間で何か他の事できないかな?」って思ったものです。本当に申し訳ないけど・・・まあこれは大人になっても同じでやっぱり話に説得力とか引き付けるような話が出来ないと商談もうまくいかないし、人に何かを伝えるって本当に難しいって事なんですよね・・・ある案件の仕事でどういう提案がいいのか?って考えた時期があります。これは学校とかじゃなかったけど、ある企業さんの研修とかを行う部門に対してどういう商品をどのように攻めていくかって検討したことあったけど、ローカルな部分でフェイスtoフェイスというか、やっぱり「会う」「話す」「相手の目を見る」これ以上に相手の気持ちを確認する方法なんてないって事に気が着いた瞬間でもあったのです。電話だと、話をしていても相手の声色とか、話の口調、語気とかで「ああ。今怒っているな」とか思うけどメールでは例え怒っていても「ううん、怒ってないよ(笑)」と書いてしまえば自分の感情はコントロールできるし、相手も勘違いするんですよね・・・だから人と人のつながりは本当に面白いものだって事を理解できる瞬間でもあるんですよね。

だから、人に何か影響受けるきっかけって高い本読んでも、ネットで調べても、それはある一定のマニュアルしかなくて、リアリティが欠けている。リアリティとして自分が共感できるものが今流行っているんじゃないのでしょうか?たとえばこれ、

 「電車男」は、電車内で男にからまれた女性を助けた体験をネットの匿名掲示板に書き込んだ“オタク”が、掲示板に集う人々の声援に勇気づけられ、その女性と恋をはぐくむ、という“物語”。実際にあった掲示板上の書き込みを編集して昨年10月に刊行したところ話題となり、映画化され、相乗効果で人気に火が付いた。

非日常の出会いじゃなくて、どこにでもありそうで、どこか共感できそうな物語だからこそ今はやっているし、なんとなく理解できるんじゃないのでしょうかね?そう考えるとこうやって僕の書いてるようなBlogもリアルな中身をみんな今までは日記っていう個人しか見れないものからBlogで公開する事で小さな共感っていうか、「ああ、こう考えているのは自分だけじゃないじゃん」って思うようになるんじゃないんですかね?僕から言わせると自分の日記なんて一人でコソコソかいてるなんてもったいないじゃないの?って思うんですよ。もちろん人を中傷したり他人を不愉快に思わせる日記なんてご法度ですけど、それはもう日記じゃなくて「呪いのデスノート」ですから、残念!みたいな物なので対象としては不適格ですけど、少しでも他人が自分の事を把握している、見たことも会った事もない人が何気にこうやってさらっと見ているって意外と多いと思うんですよね。そういった意味ではこうやって日記をBlogにしているのは非常に面白い、どう書けばヒット数があがるのか、なんとなく分かってきましたけど、今度はその法則に乗っ取って書いてくと「オリジナリティ」がなくなっていくんですよね。面白いことに・・・いやね、別にアクセスランキングを目指しているわけじゃないからどうでもいいんですよ。なんで書いているの?って考えると結局「書きたい事を書く」っていう事に尽きるんですけど、ありのままをそのまま書くって結構難しいんですよね・・・

実際今僕のサイトはあんまりアクセス数がないみたいです。きっと固定で定期的に見てくれてるよって言われてるのは本当に数人です。特に不妊の話を書いた時は鬼のようにアクセス数があったけど、それだけ周りの人で悩んでいるって事ですかね?そんな僕も最初は他人の子育て日記とかそういうの見て「ああ、自分も子供ほしいなあ」と思っていた僕が子供が出来ると「どうやって育てていけばいいのかな?」と他人の情報をもらうようになっているんですよね。もし本当に子供が出来なかったら決してそういうサイトは見なかったと思うんですよね。でも、Blogをつけていると1年前はこうだったとか、そういうの振り返ると面白いですよね。

ちなみに一年前くらいの僕はこんな事してました。

http://d.hatena.ne.jp/yoshi-blog/20040621

よく読んでみると毎年思うことは同じなのね・・・と思いつつも、こんな事書いてました。

こう天気がジメジメしていると気持ちも湿りがち、そう思って朝聴く音楽を入れなおしてみたんだけどMISHAは失敗でした。朝から|||(-_-;)||||||どよ〜んとした気持ちになってしまいそうでした。

(中略)

今日の天気のように雨を降らしていたとしても、明日の天気のようにきっと晴れて穏やかな気持ちになれる日がきっといつかくるから、誰も見てないようでもきっと誰かがあなたのがんばりに気が付いてくれるはず・・・

明日の天気のようにきっと晴れて穏やかになれる・・・か、去年の僕はものすごいイイ事言ってたんですよね。そして、憂鬱になると音楽聴いている曲を変えるみたいですね。


なぜ、こんな風になっちゃったんだろう。人の心は移りやすく、そしてはかなく脆い、そして、遠い目をしている自分がここに存在しているって事は、去年の僕は気がつけなかったんだよね。